2023年2月27日月曜日

マルコの福音書1.12-20

 マルコの福音書1.12-20

スポーツ選手は勝てる監督につきたいと願います。その監督に従えば勝利の栄光を手にすることができるからです。俳優は売れる監督に採用されたいと思うし、サラリーマンも自分に良くしてくれる会社に入りたいと願います。
つまり、みんな自分を幸せにしてくれる人や権力や組織に入ることを願います。
ところが、この世の幸せはつかの間です。
大丈夫、と思っていた監督も間違えます。期待していた栄光は消えていきます。この人と結婚すれば幸せになれる、と思っても実際は話が違った…ということもあります。この世には「絶対に大丈夫」という人はいません。
莫大な富と名誉と知性を手にいれたソロモン王は、どんな富も知識も仕事も快楽でさえも「空の空」(むなしく意味がない)と言います。(旧約聖書 伝道者の書1章) なぜなら、それは過ぎ去っていくものだからです。
ところが、イエス様だけは違います。
イエス様に従うことはどんな人に従うことよりも、どんな知性や富を手に入れることよりもどんな仕事よりも価値があります。なぜなら、イエス様は終わることのない、そして間違うことのない王だからです。
14 イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
15 「時が満ち、神の国(王国)は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
イエス様はすべての人を神様の王国に招いてくださっています。神様の王国とは罪も悲しみ叫びもない、完全な祝福と喜びが満ちている王国です。その王国に僕らも招かれています。僕らは奴隷にされるのではなく、愛される子どもとしてこの国に招かれています。
この王国に入る方法は「悔い改めて福音を信じる」ことです。
「悔い改める」とは、方向を変えることです。自分の考えや誰かの考えに縛られるのではなく、また、世の力に頼るのではなく、神様を信じ、そのことばに従うことです。なぜなら、神様のことばは完璧です。間違いがありません。しかも、そのことばは僕らを自由にし、本来の良い自分らしく作り替え、成長させてくれます。
「福音」とは「良い知らせ」です。イエス様は僕らの罪を完全に赦しきよめてくださいます。そして王国に入れてくださいます。これが「福音を信じる」ことです。「信じる」とは、信頼して自分の人生を預けることです。体重を乗せることです。これが信頼することです。ちょうどイスを信じて体重を預けて座るのと同じです。
イエス様は僕らに言われます。
「時が満ち、神の国(王国)は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
この時、イエス様は漁師の仕事をしている2人の若者に声をかけました。
16 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
18 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。
この2人の漁師のシモンとアンデレは大事な商売道具の網を捨ててイエス様に従いました。道具よりも、イエス様と一緒に人々を王国に招く仕事の方が良いと思いました。さらに、イエス様は他の2人の若者にも声をかけます。
19 また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。
20 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。
こちらの2人の漁師、ヤコブとヨハネは舟と網だけでなく、従業員たちもいたようです。しかし、ビジネスで成功することよりもイエス様に従う方を選びました。
僕らにもイエス様は呼んでくださっています。神様の王国のための仕事を僕らも一緒にするように招かれています。
もし、トランプ大統領に僕が呼ばれたら(呼ばれないと思うけど)、きっと飛行機代も出してくれるし、滞在費も心配いらないと思います。
でも実際、イエス様には呼ばれています。この方こそこの世のどんな権力者とも比べられない永遠の王、この世界を作り、今もご支配しておられる方です。
この方の前では網も舟も小さなものです。この方以上に大事なことはこの世にはありません。
イエス様を選びましょう。イエス様を愛し、従うことはどんなことよりも価値があります。僕らの小さなアタマで考える心配を遥かに超えた神様の王国が来ています。
15 「時が満ち、神の国(王国)は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
17 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
従う時に、想像を超えた祝福の人生がスタートします。この方は絶対に裏切ることがありません。

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