詩篇6篇
全てのことは神様の許可の中で起こってることです。誰も知らない雀が地に落ちることも、僕らの髪の毛が今日何本減ったかも、です。(マタイ10.29-30)敵に苦しめられることもまた神様の許可の中です。だから僕らが苦しむ時に訴えるべきは見える人ではなく神様です。神様に訴え、願い、求める時に必ず神様は聞いてくださいます。実際にはダビデは敵に憎まれ殺されそうになり続ける逃亡生活が続きました。苦しみは全部祈りになります。詩篇は祈りのお手本です。
(1-4)
1,主よ御怒りで私を責めないでください。あなたの憤りで私を懲らしめないでください。
2,主よ私をあわれんでください。私は衰えています。主よ私を癒やしてください。私の骨は恐れおののいています。
3,私のたましいはひどく恐れおののいています。主よあなたはいつまで──。
4,主よ帰って来て私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。
イエス様は悲しむ者は幸いです、とおっしゃいました。理由は神様から慰められるからです。(マタイ5.4)「求めなさい。そうすれば与えられます。」ともイエス様はおっしゃいます。(マタイ7.7)詩篇の祈りは具体的です。
(6-10)
6,私は嘆きで疲れ果て夜ごとに涙で寝床を漂わせふしどを大水で押し流します。
7,私の目は苦悶で衰え私のすべての敵のゆえに弱まりました。
8,不法を行う者たちみな私から離れて行け。主が私の泣く声を聞かれたからだ。
9,主は私の切なる願いを聞き主は私の祈りを受け入れられる。
10,私の敵がみな恥を見ひどく恐れおののきますように。彼らが退き恥を見ますように。瞬く間に。
聖書は苦しみがある、と言います。それは神様に見放されたのではなく、僕らがどんな状況の中でも神様に信頼していくためのプロセスです。僕らは苦しみを通って成長しキリストに似た者と変えられます。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(1ペテロ5:10)
聖書は苦しみの中で祈りなさい、と何度も勧めます。「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」(ヤコブ5.13、15)苦しみも悲しみも恐れ全部祈るためのものです。主は嘆きを聞いてくださいます。そして、祈りの中で恐れは希望に変えられます。「主は私の切なる願いを聞き主は私の祈りを受け入れられる。」(9)
キリストご自身さえ苦しみの中で嘆き、祈り、従順を学び、完全なものとされました。まして僕らには苦しみと祈りが必要です。今日、すること考えること、そして苦しいこと悲しいことの全てが祈りとなりますように。
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