箴言25章
「わかってます」「知ってます」「神様はこうです」聖書を勉強した人が言いがちです。実際は僕らが知っている事はほんの1部に過ぎません。神様は僕らの小さな頭では理解し尽くせない方です。全部わかっちゃうようなら神様ではありません。神様は理解を無限に超えた方です。完全に知る日は神様と直接お会いする日です。(1コリント13:12)特に、先生と呼ばれる人はわきまえる必要があります。高ぶりや傲慢さがいつも誘惑しています。
(2節から3節)
事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ。
天が高く、地が深いように、王の心は測り知れない。
神様の前でも、人の前でも「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23.12)
(6節から7節)
王の前で横柄にふるまってはならない。身分の高い人のいる所に立ってはならない。
高貴な人の前で下に下げられるよりは、「ここに上って来なさい」と言われるほうがよいからだ。
ちょうど良い量の理解が僕らに与えられます。「学んで確信したところにとどまっていなさい。」とも言われています。(2テモテ3.14)貪る必要はありません。神様との関係も、食べることも、隣人との関係も同じです。良いものはちょうど良い量を与えられています。むさぼる先には祝福はありません。
(16節から17節)
蜜を見つけたら、必要なだけ食べよ。食べ過ぎて吐き出すことのないように。
隣人の家にあまり足を運ぶな。その人がうんざりして、あなたを憎まないように。
(27節から28節)
蜜を食べ過ぎるのは良いことではない。自分の誉れを探るのは、誉れあることではない。
自分の霊を制することができない人は、城壁のない、打ち破られた町。
「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たもの」ゴミみたいなものです。(1ヨハネ2.16)大事なことはちゃんとゴミ出しをすることです。その時に僕らは良い器に変えられます。
(4-5節)
銀から金かすを除け。そうすれば細工人に、良い器ができあがる。
王の前から悪しき者を除け。そうすれば、王座は義によって堅く据えられる。
神様に喜ばれる人は与えられたことに忠実な人です。その人は神様にとって喜びです。話を盛ったり知ったかぶりをする人ではありません。
(13)
忠実な使者は、これを遣わす者にとって、刈り入れ時の冷たい雪のよう。その人は主人の心を生き返らせる。
今日も傲慢というゴミを捨てましょう。知らされている分を忠実に実行しましょう。「その人は主人の心を生き返らせ」ます。ハレルヤ!
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