2023年1月23日月曜日

エペソ4.1-16

 僕らがキリスト教を選んだのではありません。キリストが僕らを選び、呼び出してくださいました。それは僕らがキリストの一部となるためです呼ばれた僕らのことをを聖書は「体の器官」「木につながる枝」「建物の材料」のように書いていて、大勢なのにひとつに結ばれて成長すると教えています。自己中心でガンコな僕らが協調して一つになって行けるのは、一人一人が聖霊によって変えられてはじめて可能になります。組織を整えるとか、ルールを作るとか、そのようなことも用いられるけど、それよりも大事なことは一人一人が謙遜になり柔和になり、寛容になり、愛し合うようになることだと聖書は教えます。僕らは聖霊によって謙遜になり、寛容になり、愛し合うようになり、忍耐するようになり、平安の中で一つの体、一つの建物のようになって一致してキリストをあらわすようになります。


(1-6節)

さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。

謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、

平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。

あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです

主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです

すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです



信じて間もない人は表面の違いばかりに興味を持ちます。「あの人はこうだ、この人はこう」とか、「○○派はこういう考えだ」とか「組織はこれがいい、あれがいい」などです。でも、成熟してくるとそれが中心ではないこと知るようになってきます。キリストがへり下って十字架の処刑にまで自分をささげてくださったように、自分をささげたいと思うようになってきます。それが聖霊による愛であり、忍耐であり、謙遜であり柔和です一致とは、御霊の実をあらわし、キリストのご性格が現れてくることです。(ガラテヤ5.22-23)「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。」と聖書は教えます。

しかも、呼ばれた人たちの役目はそれぞれ違います。体の器官がそれぞれ全然違うけどどれも大切なのと同じです神様はそのために一人一人に違う賜物を、ちょうどいい量を与えてくださっています。


(7節)

しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。


賜物が与えられているのは、自分のためだけでなく教会全体のためです教会はキリストの体であり真理を現す柱です。(エペソ1.23、3,10、1テモテ3.15)教会が一致して成長することはキリストの栄光と真理をあらわします。そのために神様は僕らを呼び出し、それぞれ違う役目を与えてくださっています。


(11-13節)

こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです

私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです


牧師や宣教師が頑張って、ほかの人は「もっとこうすればいいのに」とテレビの前にいる人みたいにしているのは間違いです呼び出された人は全員がキリストの体の器官として役目を与えられています。そのために神様は特別なリーダーを任命されます。伝道者や牧師などが選ばれたのは、がんばるためでなく、みんなが整えられて仕えるようにするためです。もし、牧師やリーダーだけが忙しく走り回ってるなら、その教会は聖書の教えと全然違います。神様は全てのクリスチャンはそれぞれの役目を果たすために呼び出されました。それを指導し整えるために召され、特別な賜物が与えられているのが牧師や教師です


使徒たちは言いました。

「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(使徒6.2-4)


全ての人が与えられた役目に従って、ちょうどよく神様と人に仕えてキリストの体が成長するのが教会です。


(16節)

キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。


教会は、だれも傍観者でいることはできません。もちろん、赤ちゃんのクリスチャンは愛され保護され守られ養われる必要があります。赤ちゃんを育てるのも教会全体の役目です赤ちゃんの存在も宝であり喜びです。もちろん、長く信仰している人も宝です。全ての人が守られ、愛されるのが教会です。教会の全ての人が「愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」(15節)「愛のうちに建てられることになります。」(16節)僕らがますます謙遜にされ、互いのために愛し合い仕えあって神様の栄光とご計画を現す教会に成長しますように!


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