イエス様を信じた人はイエス様の体の一部になった人です。だから、隣のクリスチャンはイエス様の体の一部です。聖書は「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように」と教えます。(コロサイ3:23)隣のクリスチャンと話すとき、ウソをやめて、まるでイエス様と話すかのように真実を話しなさい、と言います。
(25節)
ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。
悪魔はキリストの体を傷付け、壊したいと願っています。その方法は、僕らが互いに傷付けあうことです。もちろん僕らは不完全なので、イラっとしたりムカッと来ることがあります。怒りは自然な感情ですが、怒っても罪を犯さないように、と聖書は教えます。怒ることと罪を犯して互いに傷付けあうことは別です。怒っても悪い言葉を出さず、怒っても相手をゆるすようにと聖書は教えています。
(26-27節)
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
なぜ自分は怒ってるのか神様に聞いて見ましょう。そこに相手を愛さず憎しみさばく罪があるなら認めましょう。そして憎しみ裁き続ける罪をやめる祈りをしましょう。憤ったままヤセガマンするのではなく、すぐに神様に報告、連絡、相談です。自分の中にある憎しみや怒りを認め、悔い改めと相手を赦す祈りをすることです。悪魔は怒りが大好きです。それを雪だるまのように増やし、憎しみを心の中で繰り返させ、やがて罪をさせ、憎しみあい、傷付けあうようにとがんばっています。悪魔にチャンスを与えてはいけません。怒ったらすぐに神様のところに行って相談です。ゆるすこと、そして自分も罪があることを認める祈りをしましょう。
(29-32節)
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。
互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。
僕らの口は相手を愛し、成長させ、恵みを与えるためにあります。
イエス様が僕らを愛し、成長させ、恵みを与えるために毎日聖書のことばを与えてくださいます。そのように、口は相手を愛し成長させるための口です。僕らの口はイエス様の口です。僕らから出る悪いことばでなく、聖霊から出る恵みを与えることばでありますように。「私たちは互いに、からだの一部分なのです。」(25節)
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