2026年2月24日火曜日

民数記28.16-31

 民数記28.16-31


何もなかった頃のことを思い出すと、今の全てが神様からの恵みだとわかります。環境も持ち物も全て神様からのプレゼントです。何もなかった頃、苦しくてもがいていた頃のことを思い出すのは恵みです。今は罪の束縛からも神様の怒りからも解放され必要なものが与えられています。全部が神様のおかげです。ところがその感動も感謝も忘れちゃうのが僕らです。あんなに感動して喜んでいた人が、いつの間にか神様に文句を言いながら離れていく姿、たまに見かけます。


イスラエルは40年前に奴隷から解放され救われました。神様の怒りによってエジプト全世帯の長男が次々と殺された時に、イスラエルは身代わりに子羊を殺すように言われて救われました。

その夜、何も持たずにエジプトを脱出しました。食料はただ小麦粉を焼いただけの種なしパンでした。彼らは何も持っていませんでした。


あれから40年経って、今イスラエルはいよいよ「乳と蜜の流れる豊かな土地」に住もうとしています。でも、この素晴らしい環境は神様からのものです。

神様は「救われた頃」「何もなかった頃」を忘れないために年に一度は家族で子羊を殺し、一週間はパン種の入らないせんべいのような質素な「種なしパン」を食べるように言われます。忘れないためです。



"第一の月の十四日は、過越のいけにえを主に献げなければならない。

この月の十五日は祭りである。七日間、種なしパンを食べなければならない。

その最初の日には、聖なる会合を開く。いかなる労働もしてはならない。"

民数記 28章16~18節



新しい土地で与えられる家畜も、小麦も、フルーツも、オリーブオイルも、全部神様からのものです。自分の力で手に入れたものではありません。



"あなたがたは、主への食物のささげ物、全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。

それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。

子羊七匹については、一匹につき十分の一エパとする。"

民数記 28章19~21節



労働から離れて神様に感謝することは僕らを原点に戻します。「仕事で稼いで生きるのではない」と確認できるからです。収穫やお金を神様にささげることは僕らを謙虚にします。「すべてが神様から与えられたもの」という原点に戻ることができるからです。何かを失うことも僕らを謙虚にします。「すべてが神様からの一時預かり」だと気がつくからです。

僕ら全員いつか死にます。全てを神様にお返しし、この肉体もお返しして死を迎えます。いのちも力も持ち物も主からの一時あずかりです。


最初は神様に感謝し感動していたのに、いつの間にか「あたり前」になってしまい、そのうちに収入も力も「自分の誇り」になり、自分の考えと少し違うだけで「不満」になるのはよくある話です。


傲慢になる僕らのために、週に1度は仕事から離れて神様に集中する安息日を神様は定めてくださいました。さらに年に数回は完全に仕事から離れ、神様にだけ集中する集会に参加する日を作ってくださいました。



"その最初の日には、聖なる会合を開く。いかなる労働もしてはならない。"

民数記 28章18節



毎年秋に収穫があった時も、まずは仕事を休みます。収穫も収入も全部神様からのものだからです。



"七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。

初穂の日、すなわち七週の祭りに、新しい穀物のささげ物を主に献げるときには、聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。"

民数記 28章25~26節



僕らの人生、全部神様からの恵みです。自分で手に入れたものなんてありません。原点に戻りましょう。感謝しましょう。何もなかった頃のことを思い出しましょう。


いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。"

コリント人への手紙 第一 4章7節

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