2022年12月16日金曜日

ネヘミヤ8章

 先日、教会で聖書のメッセージをしていたら、それを聞いていた人が「ムリムリムリ!もう帰りたくなる。」と言ってました。神様の律法は正しく、きよすぎて、ちゃんと聞く人は自分の罪がはっきり示されます。でも、それだけで終わりません。聖書が伝えているのは福音(良い知らせ)ですエルサレムに帰ってきたユダヤ人たちは律法が朗読されそれを理解した時には自分たちの罪が示されて泣きました。でも、それで終わりません。悲しみは喜びに変えられます。


(2-3)

第七の月の一日に祭司エズラは、男、女、および、聞いて理解できる人たちすべてからなる会衆の前に律法を持って来て、水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな律法の書に耳を傾けた。


(8-9)

彼らが神のみおしえの書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。


彼らは律法によって、自分も先祖も神様に背き、その結果捕囚となって惨めな生活をしてきたことが分かり、悲しみました。しかし、聖書学者のエズラも、総督ネヘミヤも、レビ人たちも「悲しんではならない。泣いてはならない」と言います。その理由は、この日は神様の元に戻ったことを記念する日だからです


もともとユダヤ人たちの7/1はイスラエルが奴隷生活から救われ解放されて、約束の地に導かれたことを記念する祝日です罪を犯したことは悲しく辛いことですが、そんな彼らを神様が赦してくださり、もう一度エルサレムに帰らせてくださいました。この日は神様の癒しと慰めを感謝し喜ぶ日でした。


(10-12)

さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」レビ人たちも、民全体を静めながら言った。「静まりなさい。今日は聖なる日だから。悲しんではならない。」こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。


神様は今も僕らに喜ぶことを望んでいます。律法は僕らの罪を明らかにします。ですがイエス様は「悲しむものは幸いです。その人は慰められるからです。」とおっしゃいます。(マタイ5:4)神様は打たれ砕かれた心をさげすむことなく、慰さめ、回復させ、赦しと平安を与えて下さいます。主は僕らを受け入れてくださっています。それゆえに「いつも喜んでいなさい。」と聖書は言います。(1テサ5.16)赦しと回復の教えを理解した人は喜びます。「民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。」(12)


僕らも悔い改めて喜びましょう。大きな喜びは「教えられたことを理解したから」です。ハレルヤ!

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