エルサレムは「聖なる都」と言われます。聖なる、とは「神様のもの」という意味です。昔も今もエルサレムには多くの問題があるけども、神様の願いはエルサレムを神様の住まいとすることです。そこにある神殿は「天にあるものの写しと影」と書かれていて、(ヘブル8.5)つまり、天国の模型というか、ミニチュアのようなものです。
ネヘミヤは破壊されていたエルサレムの城壁を再建して、少しずつ奉仕者が定住するようにしました。(1)エルサレムで優先的にするべき奉仕は、感謝の歌を捧げることです。
(17)
また、ミカの子マタンヤ。ミカはアサフの子のザブディの子である。マタンヤは祈りの時に感謝の歌を歌い始める指導者、バクブクヤはその同族の副指導者であった。
天では天使たちが昼も夜も賛美をしています。エルサレムの神殿は天にあるもののコピーだと聖書は言います。だから地上での賛美は天の賛美の地上での現れです。1歴代25章を読むと、神様の前で賛美するチームが24組作られたことがわかります。24時間365日昼も夜も絶えず神様に賛美を捧げるためには24の賛美チームが必要でした。止まることのない賛美はイスラエル全体の心臓部でした。
歌うことは日課として定められていて、そのためには指導者が必要でした。ダビデの時代からエルサレムでは24時間交代で神様に感謝と賛美の歌を歌うことが定められています。
(22-23)
エルサレムにいるレビ人の監督者は、バニの子ウジであった。バニはハシャブヤの子、ハシャブヤはマタンヤの子、マタンヤはミカの子である。ウジはアサフの子孫の歌い手の一人で、神の宮の礼拝を指導していた。歌い手たちには王の命令が下っていて、日課が定められていた。
1歴代誌25:7によると、歌の訓練を受けた人たちは「みな達人であった」と書かれています。達人とは、理解する人、という意味です。歌詞の意味を、神様の素晴らしさを理解する人が達人です。
僕らも彼らと同じく、目標は神様の素晴らしさを理解して、たえず賛美することです。いつも感謝すること、いつも神様を褒めることです。音楽があってもなくても賛美はできます。神様を喜び感謝し祈ることです。地上で賛美することは天国の賛美に参加することです。これが、神様の願いです。
(1テサ5:16-18)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(ヘブル13:14-15)
私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
僕らの人生が感謝と賛美をささげることが中心でありますように。今日も歌いつつ、感謝しつつ過ごす日でありますように。ハレルヤ!
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