2023年5月4日木曜日

創世記38.1-11

 創世記38.1-11


「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」(ピリピ2:21と書かれている通り、僕らは自分の都合、損得、好みで動きます。神様のことやイエス様のことは知ってはいても二の次です。自分の都合が優先です。神様はそんな僕らを一瞬で殺す権威があるようです。「ユダの長子エルは主の目に悪しき者であったので、主は彼を殺された。」と聖書は言います。(7節)


神様はアブラハムにもその子イサクにも、その子ヤコブにも「産めよ、増えよ、地を満たせ」と命令し、生まれた子孫によってこの地は祝福される、と約束しておられました。ところが、ヤコブの子のユダの代になると神様の言葉や祝福の約束を軽んじるようになり、自分の都合や好み優先になっていたようです。ユダの長子エルはその悪のゆえに殺されました。


「産めよ、増えよ、地を満たせ」と命令された神様は、もし子どもがなくて死んだ人は、その子孫を絶やさないように、彼の弟が残された兄嫁と結婚して子孫を生ませるように言われます。ところが、エルの弟のオナンはそれを軽んじ拒否します。神様の命令よりも自分の都合です。



(8-10)

8,ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入って、義弟としての務めを果たしなさい。そして、おまえの兄のために子孫を残すようにしなさい。」

9,しかしオナンは、生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入ると地に流していた。

10,彼のしたことは主の目に悪しきことであったので、主は彼も殺された。



オナンの判断は神様を求めるのではなく、自分の財産の分け前だったようです。どうせ子どもが生まれてもどうせ自分の子でなく、エルの子になります。オナンは自分のことを求めるだけで、神様への愛も恐れもなかったようです。主は彼もまた殺されました。ユダの長男エルも、次男オナンも神様を軽んじ、そのご計画を妨げていました。そして、神様にはそんな彼らを殺す権威があります。


そもそも、彼らのお父さんユダも神様優先ではなかったようです。「ユダは兄弟たちから離れて下って行き」とあります。(1節)神様を恐れ愛し祝福される家族から離れて生活するようになっていました。ところが、そんな罪だらけのユダを選び、ユダの子孫としてイエス様がお生まれになります。(マタイ1.3)神様のなさることは僕らの愚かさや罪深さによって妨害されることはないようです。「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」(ピリピ2:21)それでも、神様の恵みと祝福のご計画は失われることがありません。神様のなさることは僕らの善悪の判断をはるかに超えています。主をたたえます!


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