2025年9月11日木曜日

伝道者の書4章

 伝道者の書4章


神様は「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」(創世記 2章18節)とおっしゃいました。人間は互いに愛し合い、助け合うように作られています。神様のかたちに似ている点は、愛し合い助け合うところです。悲しみや苦しみの世界の中で僕らが目指すべきことは何かを達成することではなく、誰かを愛し助け、逆に誰かに助けられ愛されるることです。神様の前では一番価値のあることです。



"二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。

どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。

また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。

一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。"

伝道者の書 4章9~12節



個人主義の時代だけども、聖書の教えは真逆です。企業のトップとか、大物芸能人など権力と富を持っていても孤独な人は多いようです。それよりもお互いにダメ出しをしながらも受け入れあう貧しい若者たちの方が勝っています



"貧しくても知恵のある若者は、忠告を受け入れなくなった年老いた愚かな王にまさる。"

伝道者の書 4章13節



今日1日が、神様を愛し、隣人を愛し、助け助けられる1日でありますように。それはどんな成功よりも優っています。ハレルヤ!

2025年9月10日水曜日

伝道者の書3章

 伝道者の書3章


神様のなさる事は完璧で、この一瞬一瞬も神様の支配の中にあります。あらゆる出来事が偶然ではなく、それも神様の御手の中です。それを意識すると、悪い出来事があっても心の奥に安心感が与えられます。



"すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。

殺すのに時があり、癒やすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

裂くのに時があり、縫うのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。"

伝道者の書 3章1~8節



周りは「なぜこんなことが?」と思うことだらけだし、人間はその全てを見極める事はできません。でも、そこにも神様のご計画は確かにあるし、一瞬一瞬はそご支配の中で起こることです。



"神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。"

伝道者の書 3章11節



僕らは全部を知らないけど、それでも神様を信頼して一つ一つのことを感謝し、苦しみがあっても喜びを見出し楽しむようにと聖書は教えます。



"私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。

また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。"

伝道者の書 3章12~13節


主の中で喜びなさいと聖書は繰り返します。それが神様の願いです。



"いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。"

ピリピ人への手紙 4章4節



"いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。"

テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節



主は悪いことも良いことに変えてくださいます。「召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8.28)辛いけど感謝しましょう。ここにおられる神様に信頼しましょう。ハレルヤ!

伝道者の書1-2章

 伝道者の書1-2章

2025年9月5日金曜日

詩篇80篇

 詩篇80篇


人生苦しいこと、悲しいこといろいろあるけど、その一つ一つを取り去ろうとしても終わりません。それらの問題の一つ一つは根から出る悪い実のようで、問題は実は根っこにあります。それは僕らが神様から愛され、喜ばれ、守られ、祝福されているという神様からの視線を受けられなくなっていることです。


子どもは愛され応援され安心しているときに力を発揮します。失敗を恐れないでのびのびと動きます。でも、無視され、嫌われていると感じるなら、不安で怖くて体は動かなくなり、そこから出る悪い実のような結果を生み出してしまいます。


回復のために一番必要なのは、神様から愛と平安と祝福の御顔を向けてもらい、それを受け取ることです



"神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。"

詩篇 80篇3節



イスラエルは神様の子どもでありながら、自分から神様を拒絶し悲しませ、神様の愛の御顔を遮ってしまいました。神様からの光や祝福を自分から拒み、その結果、彼らは外国に攻撃され、搾取され、ボロボロにされています。


"あなたは私たちを隣人らの争いの的とし私たちの敵は私たちを嘲っています。"

詩篇 806


"なぜあなたはその石垣を破り道を行くすべての者がその実を摘み取るままにされるのですか。

林の猪はこれを食い荒らし野に群がるものもこれを食らっています。

万軍の神よどうか帰って来てください。天から目を注ぎご覧になってください。このぶどうの木を顧みてください。

あなたの右の手が植えた苗とご自分のために強くされた枝とを。

それは火で焼かれ切り倒されています。民は御顔のとがめによって滅びています。"

詩篇 801216


問題の一つ一つを解決するよりも、問題の根を取り除くことが大事です。それはもう一度神様のあの喜びの御顔を向けてもらうことです。詩篇80篇は何度もそのフレーズを繰り返します。



"万軍の神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。"

詩篇 80篇7節



"万軍の神主よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。"

詩篇 80篇19節


教会が何千年も大事にしてきた祈りは、あの優しい愛と祝福と恵と平安に満ちた力に満ちた神様の御顔を求める祈りです。神様に喜ばれ、愛され、祝福されてさえいれば僕らは力を得ます。



"主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』"

民数記 6章24~26節



問題が問題なのではなく、神様の優しい喜びの視線を受けられなくなってしまった罪が問題です。罪があると僕らは神様を避けたがります。

それでも神様は諦めていません。イエス様が十字架で流された血潮は、僕らのすべての罪を赦し、もう一度喜びの子、愛する子と呼んでくださり、祝福の御顔を向けてくださっています。僕らはイエス様ゆえに愛されています。あの血によって神様の愛と祝福の視線が注がれています。大丈夫です。今日も僕らは神様の喜びの子、愛する子です。恐れる必要はありません。ハレルヤ!

 



2025年9月4日木曜日

詩篇79篇

 詩篇79篇