エレミヤ5.7-19、25-31 回復のための痛み「あなたへの警告」
神様は痛みや、苦しみを通して、警告してくれることがあります。
どうして、こんなに苦しいことがあるんだろう、どうしてうまくいかないんだろう。
時々、神様はそれを通して、神様を怒らせ、悲しませている罪を教えてくれることがあります。
ヘブル 12:10 霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
黙示録 3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
●神様への裏切りと、何も言わないニセ預言者
子供の時、親に何か人からものもらったらちゃんとお礼言ったのって言われたと思うし、大人になったら自分の子どもにちゃんとお礼言いなさいよと言います。会社に入ったら、取引先やお客さんに失礼のないようにちゃんと礼状を出したり、と気を使います。それは、取引先やお客さんとの関係が会社の売上や存続にかかわる大事なことだからです。
だったら、僕らは全てを与え、生かし、祝福してくださる神様にまず感謝を捧げ、賛美を捧げ、神様にがしてくださったことを思い出し、一つ一つ数え上げるのはもっともっと重要です。神様との関係は僕らの存続に関わる一番大事なことです。神様が私たちを養い良いものたくさん与えてくださっています。
今日の食べること、寝る場所、着るもの、全部神様からのプレゼント、神様が与えてくださった人間関係、お金全部、神様からのものです。そして神様はさらに良いものを与えようとしておられます。
神様は特にイスラエルとユダ王国を愛し、私の花嫁とよびます。まるで結婚相手のように表現して愛してくださるんですね。まるで自分自身のように良いものを与えようとする神様です。ところがユダ王国もイスラエルも満ち足りると神様を裏切ります。そんな彼らに神様はおっしゃいます。
"「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。
彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。"
エレミヤ書 5章7~8節
彼らはまるで発情期の動物のように、よその女性を慕います。そのように神様以外を求めます。
この裏切りを性的な表現をするのには、2つの理由があって、まず1つは神様はユダ王国とイスラムのことを私の花嫁とよび、結婚しているはずだと言うのが理由です。偶像礼拝を浮気と姦淫とか淫らな行いと表現します。
もう一つの理由は実際に彼らがやっていた偶像礼拝は性行為があったんですね。
8節「わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。
彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。」
偶像礼拝に流れていく彼らを見て、悲しみ、嘆きます。
何度呼びかけても無視する彼らです。
帰ってきなさい、と何度も呼びかけています。それでも彼らは偶像を慕い求めます。淫らな行為にふけります。神様は放っておくでしょうか。結婚関係を壊して、いいよ。いいよって言うはずがないだろうと言います。怒り、悲しみ、その警告を無視し続ける彼らは滅ぼされます。
※ニセ預言者
なのに、預言者たちは、それをちゃんと伝えないで、嘘を言います
"実に、イスラエルの家とユダ王国の家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──
彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。
預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」"
エレミヤ書 5章11~13節
本来、神様の警告を伝えるべき預言者もみことばを語らなくなります。
彼らは神様は何もしない。何か災いがあったとしても、神の裁きではない。たまたま運が悪かっただけ、と言って神様に心向けないようにします。聖書は彼らが嘘ついてると言います。
"実に、イスラエルの家とユダ王国の家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──
彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。
預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」”
エレミヤ書 5章11~13節
たとえ、預言者がウソをついても、神様の言葉は本当に実現します。神様の御言葉をそのまま語る人の言葉は事実となります。14節です。
"それゆえ、万軍の神、主はこう言われる。「あなたがたがこのようなことを言ったので、見よ、わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とする。この民は薪となり、火は彼らを焼き尽くす。"
エレミヤ書 5章14節
この本当の預言は実現しました。そしてこの御言葉の通りに、ユダ王国はバビロンに滅ぼされました
"イスラエルの家よ。見よ。わたしはあなたがたを攻めるために、遠くの地から一つの国を来させる。──主のことば──それは古くからある国、昔からある国、その言語をあなたは知らず、何を話しているのか聞き取れない国。
その矢筒は開いた墓のよう。彼らはみな勇士たち。
彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、あなたが拠り頼む城壁のある町々を剣で打ち破る。"
エレミヤ書 5章15~17節
これは本当に実現しました。
●抜け出せなくする罪
罪は僕らを捕まえて、動けなくします。
彼らはもともとバビロンの偶像が好きだったんです。あの性行為を伴う偶像礼拝が好きだったようです。そして、最初求めた通りに通りバビロンに本当に連れて行かれます。思う存分その国に仕えるようになります。が、そこに自由はありません。奴隷となって行きます。
"『あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。』"
エレミヤ書 5章19節
自分が願って体も心も差し出した偶像に、逆に、捉えられてまるで、罠から逃げられない鳥のようになります。最初、自分が願ったことですが、最後には首に縄をつけられ、身動きができなくなります。これが偶像です。これが罪の結果です。
罪は人を縛ります。イエス様もおっしゃいます。
ヨハネ 8:34
「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者は、みな罪の奴隷です。」
よくある話です。
自分が身を差し出したものに捉えられられて戻ることができなくなる。よくあるんです。ちょっとの浮気心で男性が他の女性に手を出してその女性から逃れられなくなる。自分から手を出してその女性と関係を持ったところが、もうその女性は、その人を捉えて話さない戻ろうと思っても戻れなくなってしまうよくあると思います。遊びのつもりで違法薬物に手を出して、気がついたら、もう戻れなくなっている。罠のように、がっちりとその薬物が自分をとられている。よくあります。
あなた方が自分から他の神々に仕えたようにあなた方はそこの場所に連れて行かれ、そこから帰ることができなくなってしまう。
しかも、そこに誘導する人たちがいました。
神様を忘れさせ、性行為を伴う偶像礼拝を宣伝し、まるで野鳥を捕まえる人のように人々を捉えては動けなくし、そして、その偶像ビジネスによって彼らは大いなるものとなり、権力と富を持つとさえ書いてあります。彼らは儲かって大いなるものとなる、と書かれています。
騙して、偶像に誘導して儲けてる人がいたようです。宗教ビジネスがあったようです。
"それは、わが民のうちに悪しき者たちがいるからだ。彼らは野鳥を捕る者のように待ち伏せし、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
鳥でいっぱいの鳥かごのように、彼らの家は欺きで満ちている。だから、彼らは大いなる者となり、富む者となる。"
エレミヤ書 5章26~27節
●神様のせいでなく罪が原因
悪いことが起こると神様なんでこんなことするんですか、止めてくれないんですか、と言います。よく聞きます。戦争が起こると、飢饉が災害が起こると、人は必ず神様がいるならどうして助けてくれないんですか、と文句を言います。
聖書は、神様のせいでなく人の罪が原因だと言います。
エレミヤの時代で言うと、神様は良いものを与えてくれるのに、自分からそれを拒み自分から罠に飛び込む鳥のようになっています。自分から選んで神様の祝福を拒み、奴隷になっています。罪は罠です。偶像礼拝は罠です。
預言者たちは神様の言葉を、聖書のことばを語らなくなり、人々は神様のみことばを聞かなくなり、偶像も大丈夫、と思うようになります。しかも歴史を見ると30年くらいかけてゆっくりゆっくりわからなように、変わっていったようです。罪はパン種が膨らむように自分の中で大きくなって行きます。そして慣れて行きます。
神様のせいではありません。聖書の言葉から心が離れることが罪の根っこです。もともと、人間には、神様のことばよりも自分の言葉が上、神様の言葉より目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢が上、という罪があります。人のせいでも神様のせいでもありません。
"あなたがたの咎がこれを追いやり、あなたがたの罪がこの良いものを拒んだのだ。"
エレミヤ書 5章25節
神様はこのユダ王国とエルサレムの土地を乳と蜜の流れる時、祝福の土地として与えるっておっしゃったのに、彼らはその素晴らしい祝福を自分から拒絶しました。
そして悪いことが起こると人のせいにします。悪いことが起こるとあいつのせいだと言います。
そして最後には神様のせいだといいます。
でも神様は言われます。
"あなたがたの咎がこれを追いやり、あなたがたの罪がこの良いものを拒んだのだ。"
エレミヤ書 5章25節
抜け出せなくなってる原因はあなたの罪だ、それを認めて、告白して、悔い改めなさいと言います。
●回復のための警告と痛み。
最初に言いました。
神様は痛みや、苦しみを通して、警告してくれることがあります。
どうして、こんなに苦しいことがあるんだろう、どうしてうまくいかないんだろう。
時々、神様はそれを通して、神様を裏切り、神様を怒らせ、悲しませている罪を教えてくれることがあります。
彼らに本当に神様はバビロンと言う国を通して滅ぼし尽くしましたけども、でもやっぱり回復のための裁きです。10節も18節もそのように書いてあります。
"ぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ。ただ、根絶やしにしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。"
エレミヤ書 5章10節
"しかし、その日にも──主のことば──わたしはあなたがたを滅ぼし尽くすことはない。"
エレミヤ書 5章18節
イスラエルもユダ王国も何度も何度も神様から罰を受け苦しみました。どん底に落とされて、初めて神様を求めるようになります。そこまでされないと、彼らはかわりませんでした。今もそうです。神様は愛する子供を懲らしめるように苦しめることがあります。それは滅ぼし尽くすためではなく、僕らが悔い改めるためです。
18節は希望の言葉です。私はあなた方を滅ぼし尽くす事はしない。10節も希望の言葉です。ぶどう畑の石垣に登り、それを潰せ、ただただ、根絶やしにしてはならない。
罪から離れため与えられている懲らしめや苦しみはあるでしょうか。
悔い改めるためには、強制的に痛みを取らなければならない時もあります。そこまでしないと神様に感謝したり、もう一度礼拝することがない場合です。
※裁きを語る必要
エレミヤが彼らに警告を始めてから、実際にバビロンに滅ぼされるのは30年40年先のことでした。つまり30年か40年かけてゆっくりと罪が増え、偶像礼拝もいいよね、という雰囲気になっていった。
そういうことは今もあります。最初は罪悪感があったけど、だんだん麻痺して慣れていくことがあります。30年も経つとすっかり当たり前になります。
神様は何度も何度も注意喚起をしていました。預言者エレミヤを通して、御言葉を通して悔い改めなさいと何度も呼びかけてくださっていると言うことです。
滅ぼされていく前に、それがその罪が当たり前になって裁かれる前に、神様は今日も呼びかけてくださいます
神様は罪を目をつぶるとか、いいよいいよ、そのままでいいよ、と言われることはありません。必ず、正しく怒り、裁き、復讐します。
"これらに対して、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。
荒廃とおぞましいことが、この地に起こっている。
預言者は偽りの預言をし、祭司は自分勝手に治め、わたしの民はそれを愛している。結局、あなたがたはどうするつもりなのか。」"
エレミヤ書 5章29~31節
みことばを教えるはずの預言者は偽りを語り、礼拝を導くはずの祭司は自分勝手に振る舞いました。
人々は、自分の肉欲を叶えてくれる偽預言者や偽祭司を愛しました。罪もいいよ、大丈夫、と言ってくれる預言者を愛しました。裁きを語らない預言者を愛しました。そして結局、神様の怒りによって滅ぼされていきます。
僕らは罪について、裁きについて、ちゃんと語る必要があります。みんな罪があります。そしてその罪を救うことができる唯一の救い主はイエス様です。これが真実です。
僕らに罪があります。神様の裁きがあります。そしてその裁きを受けてくださったのは十字架のイエス様です。教会に掲げてある十字架は僕らの罪の大きさを示しています。そして、神の呪いが確かにあることを示しています。
聖書の話を曲げて語る誘惑は今もあります。また、聖書の話を都合よく変えて聞きたい、と言う誘惑があります。神様は愛だから裁きはない、大した事じゃないよ。人々が大変な罪を犯しているのに平安だ。平安だ、大丈夫だ、と言う誘惑です。
実際にその様子が6章に書かれています。
"なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。
彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。"
エレミヤ書 6章13~14節
偽預言者と偽祭司は罪には触れません。神様の怒りには触れません。裁きも語りません。
偽りの安心感を与えているといいます。本当に人々が聞くべきは、神様の怒り、そして罪がある。悔い改めるべきということです。そして、あの十字架が唯一の救いだと示すことです。
罪が人々を殺しています。家庭を壊し、国を壊します。でも、それをなんでもないことのように裁きなんてないかのように語っています。
今も僕らの教会ににも誘惑はあります。
神様の言葉じゃなくて気分が良くなる話をする。
聞きたい話の先生を求める。聖書じゃなくて面白い話を求める。
同性愛もオッケー、不倫も離婚もオッケー、不正もオッケーといってくれる牧師を探す。そう言う人気動画を探して、自分で聖書を読もうともしない。真実な神様のことばを求めようとしない、そのような誘惑がやっぱりあると思います。
あなたの罪があなたを苦しめている、と聖書は言います。イエス様の十字架に神様の怒りと裁きが注がれています。
だから、罪を認めましょう。
1ヨハネ 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
あの血だらけのイエス様の前に行きましょう。自分の罪を告白して、重荷を下ろしましょう。これが救いです。罪を真剣に受け止めるのが救いです。
この預言がなされてから30年以上語り続けました。そして、30年以上エレミヤは煙たがれています。皆さんはどうですか?罪の話を、神様のみことばをあなたも煙たいと思うでしょうか。
イエス様は僕らに今日も警告してくださっています。
悔い改めなさい。神の国が近づいた。そして最後に神の裁きがある。
イエス様が来て人を2つに分けます。そして裁かれたものは永遠の苦しみに落ちます。
イエス様がそうおっしゃっています。
僕らが目覚めるためには痛みや苦しみを与えて警告してくださいます。
この痛みはあなたの祝福のためです。
ヘブル 12:10
私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
黙示録 3:19
わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
●考えてみましょう
1 あなたに与えられている痛みや苦しみはなんですか
2 それを通して神様があなたに警告をしてくることはなんでしょう。