神様の怒りに触れて滅ぼされてもおかしくない罪人が、今日も神様の忍耐を受け続けています。パウロも、僕も、あなたも同じです。過去の罪はイエス様の「この上もない寛容」で赦されています。
(15-16)
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。
健全な信仰とは、罪人が赦されたことへの恵みと感謝に立ち続けることです。
(18)
私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言にしたがって、私はあなたにこの命令を委ねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです。
神様のこの上のない寛容は今日も注がれています。だから僕らも苦手なあの人に寛容でいましょう。欠点だらけの人を赦しましょう。忍耐しましょう。愛しましょう。僕らは何も自慢できません。この上もない寛容と愛を注ぎ続けてくださる神様にだけ栄光があります。
(17)
どうか、世々の王、すなわち、朽ちることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
この恵みと憐れみに僕らが自分の手柄や自慢をくっつけませんように。
今日も神様の忍耐に感謝する日でありますように。ハレルヤ!
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