「あなたの(神様の)みことばは私の足のともしび私の道の光です。」(詩篇119.105)
神様のことばはともしび=ランプで、ホワっとした薄明るい感じかと思いきや、神様のことばの光は強くて「敵よりも賢く」するし、「すべての師にまさる賢さ」を与えてくれます。(詩篇119.98-99)この詩は敵に囲まれて苦しむ時に神様を求め従う人の祝福を書いています。
(109-112)
私はいつもいのちがけです。それでもあなたのみおしえを忘れません。
悪者どもは私に対して罠を設けました。それでも私はあなたの戒めから迷い出ません。
私はあなたのさとしを永遠に受け継ぎました。これこそ私の心の喜びです。
私はあなたのおきてを行うことに心を傾けます。いつまでも終わりまでも。
苦しみの中での忍耐とはガマン大会ではなく、神様の言葉を信頼して待つことです。「あなたは私の隠れ場私の盾。私はあなたのみことばを待ち望みます。」と聖書は言います。(114)神様が必ず正しく最終的な裁きをなさいます。
僕らは敵に復讐する必要がありません。
(118-122)
あなたはあなたのおきてから迷い出る者をみな退けられます。彼らの偽りは欺きだからです。
あなたは地の上のすべての悪しき者を金かすのように取り除かれます。それゆえ私はあなたのさとしを愛します。
私の肉はあなたへの恐れで震えています。私はあなたのさばきを恐れています。
私は公正と義を行います。私を虐げる者どもに私を委ねないでください。
あなたのしもべの幸いの保証人となってください。高ぶる者が私を虐げないようにしてください。
苦しい時にはジタバタしてしまいます。でも、その時こそ神様のことばを求め、待ち望みましょう。
幸いな人とは、神様のことばを心を尽くして求める人です。(1-2)善を行なって苦しむなら、神様に喜ばれています。この世の人の考えと神様の考えは全然違います。
(マタイ 5:11-12)
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。
(1ペテロ 2:20)
善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
(マルコ 10:29-30)
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。
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