2022年12月20日火曜日

ゼカリヤ11章

 聖書は指導者のことを「羊飼い」と言い、民のことを「羊」に例えています。そして、最高の羊飼いとはイエス様ですイエス様はいわれます。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:1–11)人々がいのちを得、癒され、養われるためにイエス様は自分のいのちを投げ出します。

逆に、堕落して、羊である人々を殺したり売ったりしても平気で、自分のことしか考えない指導者が現れるのも現実ですそんな指導者のことを聖書は「わざわいだ」と言います。


(16-17)

見よ。それは、わたしが一人の牧者をこの地に起こすからだ。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものを癒やさず、衰え果てたものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。

わざわいだ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕と右の目を打ち、その腕はすっかり萎えて、右の目の視力は衰える。」


僕らは自分さえ良ければそれでいいと思います。迷い出た人を連れ戻すことも、探すことも、傷ついている人を癒そうとも何かを与えようともしません。イエス様は真逆です。一匹が迷い出たとしたら、九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけ、見つけたら九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶような牧者です


イエス様は最高の羊飼いです。そして、イエス様は羊が生きるためには自分が捨てられ殺される役目を引き受ける方ですイエス様は奴隷の値段である銀貨30枚で裏切られ売られました。それは僕らを見捨てず、見つけ出し、癒し、回復させるために、ご自分は奴隷のように売られ、殺される側になってくださいました。イエス様こそ良い牧者です


僕らの中にキリストが生きておられます。(ガラテヤ2.20)キリストが僕らを用いてくださり、他人を生かし、神様の元に連れ戻し、癒し、助け、与える者でありますように。

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