2022年12月13日火曜日

黙示録14章1-5節

 黙示録14章1-5節



だめなクリスチャン、こんな俺でもギリギリクリスチャン、などなど自分のことを汚れたもの、聖くないもの、と思う信仰者は多いようです。僕もそう思っていました。ところが、聖書はイエス様を信じた人たちのことを汚れたことがない人たち、と言い切ります。今日の箇所では「この人たちは、女に触れて汚れたことがない者たちで、童貞である。彼らは、子羊が行く所、どこにでもついて行く。彼らは、神と子羊に献げられる初穂として、人々の中から贖い出されたのである。彼らの口には偽りが見出されなかった。彼らは傷のない者たちである。」と書かれています。(4-5)



 「初穂」と言うのは神様に捧げる1番良い存在と言う意味です。旧約聖書の時代は収穫で一番良いところを神様におささげしました。そのように私たちの存在が1番美しく良いもの、神様に喜ばれるものに変えられたことを聖書は繰り返しています。



またここでの「童貞」とは罪を経験したことがないと言う意味です。すべての人は自分の汚れを知っています。隠していても自分はしっています。ところが、キリストが教会のためにご自身をささげられた理由は、「教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペ5.26-27)とあり、「あなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにした」とあります。(2コリント11.2)



僕らの過去が人に言えないような汚れたものであっても、イエス様の血によって僕らは汚れたことがない者たちと呼ばれ、童貞と呼ばれ、初穂と呼ばれ、偽りも傷もないものたち、と呼ばれています。イエス様の血によって、ダメなクリスチャンとか、ギリギリ信仰者ではありません。子羊の名が記されている、聖なる、そして、新しくされた人たちです。



僕らは新しい歌を歌います。神様の前では賛美と感謝が絶えずささげられています。そして、地上にいる僕らも天の礼拝と天での美しい身分が始まっています。神様の御国は地上でもすでにスタートしています。そして、神様は黙示録を通して天の様子を僕らに伝えてくださっています。天と地は繋がっています。御霊によって、今日もあなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかわかり、新しい賛美を祈りを感謝を捧げる日でありますように。ハレルヤ!



(1-3)

また私は見た。すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた。また、子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。

また、私は天からの声を聞いた。それは大水のとどろきのようであり、激しい雷鳴のようでもあった。しかも、私が聞いたその声は、竪琴を弾く人たちが竪琴に合わせて歌う声のようであった。

彼らは御座の前と、四つの生き物および長老たちの前で、新しい歌を歌った。しかし、地上から贖われた十四万四千人のほかは、この歌を学ぶことができなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿