2022年12月20日火曜日

マルコ15.22-41

 今、僕らが「神様」と祈ることができるのは、イエス様が僕らの罪を引き受けて命を捨ててくださったからです

今、僕らが神様の子どもとして受け入れられているのは、この大きな犠牲があるからです

僕らではなく、罪のないイエス様が十字架につけられ、人々から捨てられ、そして父なる神様に捨てられました。十字架は私たちの罪と呪いをイエス様が自分から引き受けたと聖書は言います。


1ペテロ 2:24

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。


ある人は神様と完全に断絶します。そのように、罪人としてイエス様は神と断絶し捨てられ、死なれました。


33-34)

さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


闇が勝利し、イエス様は敗北したようです

イエス様が罪を引き受けてくださり、捨てられる罪人として完全に死んでくださいました。

これが僕らに対する恵みであり、憐れみでした。


(37-38)

しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。

すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。


イエス様が息を引き取った時、神殿の幕が裂けました。神殿の幕とは、神様の臨在の場所に人が入ることができないためのものです

神様の聖所に近づくためには、祭司は身代わりの動物を殺し、その血によって年に一度だけ近づくことができました。

しかし、イエス様の死によってその幕は不要になりました。

イエス様の死によってのみ、罪人への神の怒りと呪いは過ぎ去り、人は神様に近づくことができるようになりました。


(ヘブル10:19

こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです


今、僕らが「神様」と祈ることができるのは、イエス様が僕らの罪を引き受けて命を捨ててくださったからです

今、僕らが神様の子どもとして受け入れられているのは、この大きな犠牲があるからです

十字架のイエス様の前に、ただ感謝しかありません。

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