2022年12月22日木曜日

黙示録22.14-21

 黙示録22.14-21


洗濯しよう、と思う人は服が汚いことがわかってる人です。何か飲みたい、と思う人は自分が渇いてることを知っている人です。

同じように、自分の汚れを知り、自分が満たされていないことを知っている人は幸いだと聖書は言います。完全に回復した新しい天地に住む人はそのような人です。反対に、自分の汚れや渇きを知りながらもイエス様を求めず、それを放置したり、他の快楽や偶像で満たそうとしたり、自分のやり方で欲望を満たそうとする人は神様との永遠の交わりに入ることはできません。



(14-15)

自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。

犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。



自分の汚れを知っている人はイエス様の前にそれを告白し謝り、それをやめることで赦されます。イエス様が身代わりに十字架で苦しみ、血を流して僕らを洗ってくださいました。新しい都ではイエス様の血によって洗われた白い衣を来た人たちが喜んで賛美しています。



(7章9-14)

その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」(…中略…)「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。



彼らはみんな汚れを知ってイエス様のところにきた人たちです。イエス様によって白くされた人たちだけが「いのちの木の実」(14)を食べる特権が与えられます。いのちの木はもともとエデンの園の中心でした。(創世記2章)罪がない時には神様は僕らが永遠に生きるようにセッティングしてくださっていました。でも、人間が悪くなってしまったために食べることを禁じられていた木の実です。それが、イエス様によって無罪とされ、完全にリセットされることでもう一度食べることができるようになり、それを食べる人たちは永遠に満たされ祝福されて生きるようになります。



ユダヤ人たちが「ダビデの根」と聞くとすぐに旧約聖書にある神様の約束(イザヤ11章)を思い出します。ダビデの根(子孫)から王様が出て、その方が支配する世界には悪いことが何もありません。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ(…中略…)聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」そのような世界です。(イザヤ11.9)イエス様はその「ダビデの根」こそ自分だと紹介しています。



16

「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」



神様との完全な交わり、悪いことが一つもない世界がすでに用意されています。だから、「御国が来ますように」と祈るようにとイエス様は言われました。今日もイエス様、来てください、と祈りましょう。これこそが教会の祈りであり、御霊の祈りです。



(17)

御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。



イエス様は必ず来てくださいます。新しい天と地を与えてくださいます。今は僕らは飢え渇いています。不安で不満です。でも、そのように渇いている人は幸いです、とイエス様は言われます。満ち足りるからです(マタイ5.6)今日も「渇く人は来なさい」と呼びかけてくださっています。今日もイエス様を求めましょう。イエス様のところに行きましょう。すでに御霊は与えられています。不安や不満は恵みと祝福への通過点です。主を求めるチャンスです。イエス様のところに行きましょう。必ず与えてくださいます。


(17)

渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。


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