僕らの力も知恵も、周りの出来事も全部のことは神様の支配の中です。自分が作り上げたものは一つもありません。聖書は神様だけが王の王だと繰り返し、イエス様も「み心が行われますように」と祈るようにと教えてくださいました。
だのに、僕らは「自分がやった」「自分はこう思う」「~ねば、~べき」と自分の主権と栄光を取りたがります。
そんな僕らを砕くために、神様は強制的に僕らの思い通りでなくしてくださいます。それは壊すためでなく、再構築するためです。
バビロンの王ネブカドネツァルは自分の栄光と王国を誇っていました。
(30)
王はこう言っていた。「この大バビロンは、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が私の権力によって建てたものではないか。」
そんな彼を砕くため、神様は彼の理性を取り去り、人間ではなくまるで獣のようにしてしまいます。
(31-33)
このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカドネツァル王よ、あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。
あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べるようになり、こうしてあなたの上を七つの時が過ぎ行き、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」
このことばは、ただちにネブカドネツァルの上に成就した。彼は人の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲のように、爪は鳥のように伸びた。
これは彼が完全にへりくだって神様の主権と栄光だけを認める人になるためです。
王は一度全てを失うことによって、全てが神様のものであることを認め、ほめたたえるようになりました。
(34-35)
その期間が終わったとき、私ネブカドネツァルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻ってきた。私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。
地に住むものはみな、無きものと見なされる。この方は、天の軍勢にも、地に住むものにも、みこころのままに報いる。御手を差し押さえて、「あなたは何をされるのか」と言う者もいない。
僕らが思い通りにならない時は神様が主権者であることを認める時、握りしめている計画や計算を手放す時です。神様だけがそのご計画をなさいます。傲慢さや罪を取り除くために、神様は懲らしめられます。その時に主の栄光が現れるからです。
(ヘブル12:10)
霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
(1ペテロ 1:7)
信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
思い通りにならないことを感謝しましょう。神様がちょうどよく僕らの計画を奪ってくださいます。全ての権威は神様のものです。全ての計画は神様だけがお決めになります。全ての栄光と賛美は神様のものです。今日も思い通りでなく、神様の思い通りになりますように。
(詩篇 115:1)
私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。
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