2023年1月17日火曜日

マルコ1.12-20

 頼りにしていたものが取り去られる事は辛いことです。けれども、神様を知り、神様に頼る信仰が純化されるためには必要なプロセスでもあります。イエス様でさえ、神様の国について教えを始められる直前に40日間荒野に導かれました。荒野は何もないところです。人もなく、食べ物も水もなく、頼るもののない危険なところです。その試練とは、神様と神様のことばにだけ頼る、という試練です。そしてイエス様を荒野に追いやったのは御霊です。



(12-13)

それからすぐに、御霊はイエスを荒野に追いやられた。

イエスは四十日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。



サタンの誘惑は神様に頼るのでなく、人間の力や善悪の知識、お金や名声に頼らせようとするものです。(詳しくはマタイ4章にあります。)この誘惑は僕らも経験します。イエス様はこの試練を通った後、イエス様は神の国が近づいたと教えを始めます。神の国とは神様の王国、という意味です。



(14-15)

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。

「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」



神様の王国とは、神様が全ての権威をもち、僕ら人間と世界を養い守り導いてくださる世界です。それは恵みと愛と喜びと平和の国です。神の国が近づいていることは「福音」です。福音とは喜びの知らせです。イエス様はもう一度この世界にリアルに見えるように来られます。そして全ての悪を一掃し神様の国を実現させてくださいます。先にイエス様を信じた僕らはすでに神様にだけ頼り、守られ、喜びと平和が与えらる信仰に入っています。そのことをイエス様は「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」と言われました。(ルカ17.11


僕らが神様にだけ頼る喜びを経験するために、神様は時々頼りにしていたものを取り去ってしまいます。それは神様への信頼(信仰)を増やしてくれるものだし、神様は僕らを捨て去ることはしません。人から見ると危険で心配に見えるけど、神様と自分の関係が強まる点では良いことです。に12弟子たちは仕事を捨てて、財産を捨ててイエス様に従いました。



(16-19)

イエスはガリラヤ湖のほとりを通り、シモンとシモンの兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。

また少し先に行き、ゼベダイの子ヤコブと、その兄弟ヨハネをご覧になった。彼らは舟の中で網を繕っていた。

イエスはすぐに彼らをお呼びになった。すると彼らは、父ゼベダイを雇い人たちとともに舟に残して、イエスの後について行った。



仕事も財産も神様からの預かりものです。弟子たちそれらを手放してイエス様に従いました。残された家族も従業員たちも神様が続けて守り養ってくださると彼らは信じたし、実際に神様は守ってくださいました。今も神様から呼ばれた人の中には、今までの仕事を手放してイエス様に従う選択を求められることがあります。


僕らは自分の力で生きているのではないし、食べ物だけで生きてるのではないし、仕事や人間関係で生きているのでもありません。それら全ては神様からの預かりものです。神様にますます信頼するものとなるために、不要なものを手放す必要が僕らにはあります。誘惑とは、神様に頼らず他のものに頼らせようとする悪魔からのお誘いです。神様だけを求めていくのは正解です。そうすれば必要なものは全て与えられます。大丈夫です!



(マタイ6:33

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

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