2023年1月19日木曜日

レビ15章

 聖書はあらゆる病気に感染しないように防止策を教えています。神様は僕らのことを「聖なるもの」と言われます。これは「神様のもの」という意味です。旧約時代のイスラエル人たちは「聖なるもの」でした。罪に汚されることがないようにするのはもちろん、衛生的にもきよくあることが今も昔も変わらない神様の願いです


(1-3節)

主はモーセとアロンにこう告げられた。

「イスラエルの子らに告げよ。だれでも、隠しどころから漏出があったなら、(新共同訳では尿道の炎症による漏出)その漏出物は汚れている。

その漏出物による汚れは次のとおりである。その隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは、その隠しどころが漏出物をとどめていても、(尿道から膿が出ている場合と尿道にたまっている場合)そのことはその人の汚れである。


どんな病気だったのかはっきりわかりませんが、他に感染することがないように、徹底して接触を避けるようにと書かれています。その人が使った寝具も座ったものも服も触れた土器も汚れており、触れないようにと教えています。もし触った場合はその対応が書かれています。


(4-13節)

漏出を病む者が寝た床は全体が汚れる。またその人が座った物もすべて汚れる。

その床に触れた者はだれでも自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

漏出を病む者が座った物の上に座った者は、自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

漏出を病む者の隠しどころに触れた者も、自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

漏出を病む者が、きよい人に唾をかけたなら、唾をかけられた人は自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

漏出を病む者が乗った鞍は全体が汚れる。

また、何であれ、その人の下にあった物に触れた人はだれでも夕方まで汚れる。また、それを運んだ者も自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

また、漏出を病む者が水で手を洗わずに触れた人はみな、自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

漏出を病む者が触れた土の器は砕く。木の器はどれも水で洗う。

漏出を病む者が漏出からきよめられたときは、自分のきよめのために七日を数え、自分の衣服を洗い、自分のからだに新鮮な水を浴びる。こうしてその人はきよくなる。


神様のものとなった人は神様のものです汚れないように気をつけ、汚れから離れなさい、と聖書は教えます。


(31節)

あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。


汚れたままの人が聖なる神様の幕屋(この当時神様とお会いする場所)に近づくと死ぬことがありました。汚れと聖なる神様は共存できません。なので、神様に近づく人は必ずきよめられる必要があります。汚れから離れる理由は「死ぬことのないようにするため」です。(31)


汚れが感染しないようにするとともに、治ってきよめられる時の手順も書かれています。水で洗われることと、罪のためのささげもの、そして全焼のささげ物をささげることです


(13-15節)

漏出を病む者が漏出からきよめられたときは、自分のきよめのために七日を数え、自分の衣服を洗い、自分のからだに新鮮な水を浴びる。こうしてその人はきよくなる。

八日目に彼は自分のために山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取り、主の前、会見の天幕の入り口に行って、それらを祭司に渡す。

祭司はそれらのうち、一羽を罪のきよめのささげ物とし、もう一羽を全焼のささげ物とする。こうして祭司はその人のために、主の前で漏出物のゆえに宥めを行う。


これらの律法はイエス様によるきよめを現しています。聖なる神様に近づくことができないのは今も同じです聖なる神様に近づくなら罪人は滅んでしまいます。きよめられることはどうしても必要です汚れた僕らが神様に近づいても殺されないのは、イエス様が罪のきよめのために十字架で血を流してくださったからです


(ヘブル10:19)

兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです


(ヘブル10:22)

私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。


この世界は汚れに満ちているし、僕らもいつも汚れを受けています。それでもイエス様は「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。」(ヨハネ15:3)と言ってくださいます。


この当時(今もですが)衛生的にも神様のものとして気をつける必要がありました。男性が射精した場合、生理中の女性の場合、性的な交わり、生理中じゃないのに出血する場合など、あらゆる時に受ける汚れと、そのきよめについて丁寧に書かれています。(16-30節)


(32-33節)

以上が、漏出のある者、精を漏らして汚れた者、月のさわりで不浄な女、男か女で漏出のある者、また汚れている女と寝た男についてのおしえである。


イエス様は僕らの汚れを引き受け、きよめてくださる唯一の救い主です

出血し続ける病気で汚れた女性は、「(イエス様の)お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考え、汚れたままの体でイエス様に触れました。(マタイ9.21)イエス様は信じて近づいてきたその女性に言います。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」(マタイ9.22)


汚れを引き受け、きよめてくださるのはイエス様です衛生的にも罪にも汚れた僕らが受け入れられるのはただ、イエス様によるきよめがあるからです。「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル10:22)


僕らはきよめられました。イエス様に感謝して、体も心もますます聖なる神様にふさわしく、ますますきよくされていきますように。


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