イエス様を信じた人は「聖なるもの」とされました。「聖なるもの」とは「神様専用の人」とか「他とは分離している人」という意味です。
結婚しているカップルは相手専用の人です。二股は許されません。同じように、イエス様を信じた人は神様を愛し、神様に愛され、神様が嫌う罪とは離れるようになります。神様も好き、だけど同時に罪も楽しんでます、とはなりません。神様は最初イスラエル人たちを恋慕い、彼らを選んで「聖なるもの」としました。そして神様にふさわしくなるために律法が与えられました。
(1-4節)
主はモーセにこう告げられた。
「イスラエルの全会衆に告げよ。あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである。
それぞれ、自分の母と父を恐れなければならない。また、わたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
あなたがたは偶像の神々に心を移してはならない。また、自分たちのために鋳物の神々を造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。
ところが、これらの律法は人間の努力では達成できないと聖書は言います。律法は僕らが親を愛さず、安息日を守らず、偶像を作り従いたがる罪人であることを明らかにします。(ローマ7.7、ガラテヤ3.22-24など)僕らはもともと、レビ記に書かれている律法のルールを守ることができない罪人です。ですが、イエス様を信じた日から御霊が与えられ、御霊は「神様に従いたい」と気持ちを僕らに与えてくださっていて、しかもできるように助けてくださいます。聖書は「御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされる」と言います。(ローマ8.4)律法とは隣人を愛することです。
(ガラテヤ5:14)
律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
今日の箇所は隣人を愛する方法が具体的に書かれています。収穫の時も全部収穫するのではなく、貧しい人のために残して置くようにと書かれています。神様の御霊が僕らをそのように変えてくださいます。
(9-10節)
あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。
また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
また、神様はいつも誠実で正しい方です。そのご性格は僕らにも御霊によって与えられます。
(11-18節)
盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない。
あなたがたは、わたしの名によって偽って誓ってはならない。そのようにして、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
あなたの隣人を虐げてはならない。かすめてはならない。日雇い人の賃金を朝まで自分のもとにとどめておいてはならない。
あなたは耳の聞こえない人を軽んじてはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れよ。わたしは主である。
不正な裁判をしてはならない。弱い者をひいきしたり強い者にへつらったりしてはならない。あなたの同胞を正しくさばかなければならない。
あなたは、民の中で人を中傷して回り、隣人のいのちを危険にさらすことがあってはならない。わたしは主である。
心の中で自分の兄弟を憎んではならない。同胞をよく戒めなければならない。そうすれば、彼のゆえに罪責を負うことはない。
あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。
今日も僕らはイエス様の十字架によって赦され「聖なるもの」とされています。僕らの全ては神様のものです。今日も神様を愛し、神様に愛され、隣人を愛し、困っている人を助け、誠実に歩みますように。僕らの中に住んでおられる御霊がそうさせてくださいます。ハレルヤ!
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