2023年1月12日木曜日

伝道者の書1章

 僕ら人間は神様と交わるように作られています。神様を知らない人は安心や満足を求めていろんなことをしますが、聖書はそれを「空の空」と言います。「ああ、なんてむなしいんだろう」という意味ですこれを書いたソロモン王はあらゆる知恵、名声、快楽、お金、権力、全てを手に入れた人でした。でも、神様との交わりがなければ、どんなに苦労しても満足は一時的で虚しいものです

(1-3節)

エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。


どんなに人間が苦労したとしても、人生は終わり、忘れられ、次の世代が起こり自然界は何も変わらないから「ああ、むなしい」と彼は言います。


(4-7節)

一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。

日は昇り、日は沈む。そしてまた、元の昇るところへと急ぐ。

風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。

川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れる場所に、また帰って行く。


もし心躍らせる出来事があったとしても、それはひとときです本当に僕らを満足させるものはこの世にはないし、どんなに話題になったり注目されても、時間が過ぎれば、その後の時代の人には何も思い出してもらえないものですだからソロモンはむなしい、物憂い、と言います。「今がんばっていることが何になるのか…」という気持ちです


(8-11節)

すべてのことは物憂く、人は語ることさえできない。目は見て満足することがなく、耳も聞いて満ち足りることがない。

昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。

「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。

前にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、さらに後の時代の人々には記憶されないだろう。


(14)

私は、日の下で行われるすべてのわざを見たが、見よ、すべては空しく、風を追うようなものだ。


満腹しても次の日には空腹になるように、水を飲んでもまた喉が乾くように、この世の満足は一時のものです。ところがイエス様との交わりは、なくならない喜びと満足です。イエス様はおっしゃいました。


(ヨハネ4.14)

わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。


ソロモンは知恵を知識を増せば満足を得られると思いました。が、それも違ったようです


(16-18節)

私は自分の心にこう言った。「今や、私は、私より前にエルサレムにいただれよりも、知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」私は、知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうと心に決めた。それもまた、風を追うようなものであることを知った。

実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識が増す者には苛立ちも増す。


ソロモンは何よりも天の喜びと満足を切望していました。この天の神様との交わりを知ってしまった人は、地上のことは全て色あせてむなしく見えます。神様を知らない人は地上のことだけでなんとかしようとします。聖書は言います。あなたがたは、 地上のものを思わず、 天にあるものを思いなさい。」(コロサイ3:2)


僕らが地上にあるもので一喜一憂せず、天にある喜びと満足の中を歩めますように。その喜びは尽きることがありません!

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