クリスチャンは、一生のびしろがあります。神様は僕らの心に「もっとイエス様に従いたい!」という気持ちを与えてくださいます。
(13)
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
神様が与えてくださる「志」は、従順になりたい!というものです。
(12)
こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
僕らはイエス様を信じることで全ての罪は赦されて救われます。聖なる神様の子どもになりました。…ですが、実際にイエス様に従うようになるには時間がかかります。救われていますが、完成されるまでイエス様に従うことを「達成するように努めなさい」と書かれています。イエス様に従うことは、自分を捨てて行くことです。イエス様がお手本です。
(6-8節)
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
まず、イエス様が全てを捨てて、十字架の上で殺されるまで自分を捨ててくださいました。イエス様にならって僕らも自分を捨てて行くと、なんと自分がなくなってしまう、ということはなく、逆に自分が純真になって行き、世の光として輝くようになってきます。
(15-16節)
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。
僕らの成長は止まることがありません。ずっと次の課題が与えられ続け、一生イエス様に似たものへと変えられ続けます。自分を手放すだけ、イエス様の栄光が現されます。生活を変えたい、人生を変えたい、という志が今日も与えられています。それをさせてくださるのも神様です。
神様は僕らを放って置かないです。一生成長させ、変化させ続けてくださいます。今日神様から与えられている「志」は何でしょう。文句を言わず、感謝して実行しましょう。(14)僕らは一生イエス様に倣って、謙遜と従順な新しい傷のない子どもに変えられつづけます!
(13)
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
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