旧約時代の神様へのささげものに「交わりのいけにえ」があります。これは神様との交わりのためにささげるものです。「交わり」原文で調べると平和とか、友情とか、感謝、の意味があります。神様との関係を喜び感謝するためのささげものです。
そもそも、神様がイスラエル人たちにささげものを焼くための祭壇を作るように言われた理由は、神様の側から「あなたがたと会う」「あなたと語る」「彼らの間に住む」ことを願っておられるからです。神様は僕ら人間との交わりを喜んでくださいます。
(出エジプト29.43-45)
その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。その所でわたしはイスラエル人に会う。(…中略…)わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。
(1-5節)
そのささげ物が交わりのいけにえの場合には、献げようとするのが牛であるなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前に献げなければならない。まず、ささげ物の頭に手を置き、それを会見の天幕の入り口で屠り、祭司であるアロンの子らがその血を祭壇の側面に振りかける。
次に交わりのいけにえから、主への食物のささげ物として、内臓をおおう脂肪と、内臓に付いている脂肪すべて、
また、二つの腎臓と、それに付いている腰のあたりの脂肪、さらに腎臓とともに取り除いた、肝臓の上の小葉を献げる。
アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上の薪の上にある全焼のささげ物に載せて、焼いて煙にする。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。
全焼のいけにえのように礼拝する人は動物の頭に手をおいて、まるで動物と自分自身が一体であるかのように動物を殺します。
このささげ物の特徴は、一番良い部分を神様の前に焼き尽くし、それ以外は祭司や礼拝者が食べることです。聖書によると脂肪と腎臓と肝臓の上の小葉という部分が一番良いところで、神様にささげます。そして、胸と右のもも肉は祭司が食べ、それ以外の肉は礼拝者が食べます。(レビ6.32等)
(レビ6.15)
感謝のための交わりのいけにえの肉は、それが献げられるその日に食べ、少しでも朝まで残しておいてはならない。
神様と人間が交わり、感謝することを表すために肉を一緒に食べました。もちろん義務ではなく自発的な感謝です。最高のものを神様にささげ、そして、神様と一緒に食べ、味わい、喜びます。一緒に食べることは、この当時は完全に互いに受け入れていることの表れでした。僕らが神様に感謝を表し、感謝ゆえに最高のものを捧げることは神様にとっても喜びです。
これは僕らにも適用できます。神様に感謝の歌を歌ったり、感謝して献金したり、感謝して奉仕したり、感謝して聖書の学びをしたり、一緒に礼拝をしたりします。キリストの兄弟姉妹のことを感謝して一緒に食べ、時間を過ごします。これら全部が自発的な神様との交わりです。そのように最高の時間やお金や力を「喜んで」「いやいやながらでなく」「惜しみながらするのでなく」神様と、そして神様に繋がる兄弟姉妹と分け合うのは最高のささげものです。
(2コリント 9:5-7)
どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。(…中略…)ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
今日も明日も僕らの生活が神様への感謝、神様との交わりを表すものでありますように。
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