僕らは気がつかないうちに罪を犯し、神様と隣人を悲しませていることがあります。その時にはわからないけど、後で自分のしたことが人を傷付け、神様を悲しませていたのに気がつくことがあります。それが僕ら人間です。後で気づかされた時にはすぐにその罪を告白して罪のためのささげ物をしなさい、と言われます。
(5-6節)
これらの一つについて責めを覚える場合には、自分が陥っていた罪を告白し、自分が陥っていた罪のために償いとして、羊の群れの子羊であれ、やぎであれ、雌一匹を主のもとに連れて行き、罪のきよめのささげ物とする。祭司は彼のために、罪を除いて宥めを行う。
大事なのは、すぐに「罪を告白」することです。神様に罪を告白する人は赦されます。この当時は罪のきよめのために動物のいけにえがささげられましたが、イエス様ご自身が罪のための供え物になってくれた、と聖書は言います。
(1ヨハネ 4:10)
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
イエス様が僕らの罪のささげものとして血を流して死んでくださいました。その血は僕らの全ての罪をきよめてくださいます。だから僕らは罪を隠さず言い表すことができます。赦しときよめが確実だからです。
(1ヨハネ 1:7-9)
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(…中略…)もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
どんな小さなことでも、神様に罪を示されたらちゃんと認めて謝りましょう。赦されます。この当時、貧しい人でも、神様には罪の赦しのためのささげものができるように定められました。牛や羊が買えない人は鳩、鳩も買えない人は小麦粉です。
(7節)
しかし、もしその人に羊を買う余裕がなければ、自分が陥っていた罪の償いとして、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を主のところに持って行く。一羽は罪のきよめのささげ物、もう一羽は全焼のささげ物とする。
(11節)
もしその人が、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽さえも手に入れることができないのなら、自分の罪のために、ささげ物として、十分の一エパの小麦粉を罪のきよめのささげ物として持って行く。その人はその上に油を加えたり、その上に乳香を添えたりしてはならない。これは罪
のきよめのささげ物であるから。
どんな罪でも、そしてどんなに貧しい人であっても祭司は彼のために祈り、ささげ、そして彼は赦されました。
同じように、今日も僕らのためにイエス様が大祭司として祈り続けてくださっています。
(13)
こうして、祭司は彼のために、陥っていたこれらの罪の一つのゆえに宥めを行う。そして彼は赦される。
(ローマ 8:34)
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
今日も僕らの罪はイエス様によって赦されます。どんな小さな罪であっても、そしてどんな大きな罪であっても赦されます。イエス様のなだめと赦しは完全です。すぐに告白して謝りましょう。イエス様が今日も僕らの赦しのために祈り続けてくださっています。自分の罪でなくても、僕らの兄弟姉妹は罪を犯します。だから、他人の分も祈りましょう。
イエス様は次のように祈りなさい、とおっしゃいました。
(マタイ 6:12)
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
自分だけでなく、「わたしたち」の罪です。気づいたものも、気づかなかった罪も、赦してください、と祈りましょう。赦されます。イエス様の福音は完全な赦しと平安の福音です。自分だけのことでなく、みんなの罪のために祈りましょう。イエス様の赦しは完璧です!
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