2023年1月23日月曜日

レビ6章

 神様は僕らのことを「あなたの罪を思い出さない」と宣言してくださっています。信じる僕らは無罪とされ赦されています。イエス様の十字架による赦しは完璧です。…ですが、僕らが傷つけたり被害を与えた相手には丁寧に賠償する責任と役目もあります。聖書は、もし、人をだましたり、ごまかしたり、脅したりして何かを手に入れたのなら必ず返すように、そして、その場合は元の金額の20パーセントを上乗せして所有者に返すように、と教えています。


(1-5節)

主はモーセにこう告げられた。「人が罪に陥っていて主の信頼を裏切るとき、すなわち、預かり物や担保の物やかすめた物について同胞を欺いたり、あるいは同胞を脅迫してゆすり取ったり、あるいは落とし物を見つけながらも欺いたりするなどして、人が罪に陥っていて行う事柄の一つについて、偽りの誓いをするようなとき、その人が罪に陥り、後になって責めを覚える場合には、そのかすめた品や脅迫してゆすり取った物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、あるいは、それについて偽って誓った物をすべて返さなければならない。元の物を償い、また、それに五分の一を加えなければならない。彼は自分が責めを覚えるときに、その元の所有者にそれを返さなければならない。


神様は赦してくださいます。でも同時に相手に弁償したり、責任をとったりすることも大事です。相手に謝り、弁償することと、神様の前で謝り赦していただくことは両方大切でありセットです礼拝するなら、その前に人と和解することが必要です憎んでいるなら、相手を赦し、恨まれているなら、相手と仲直りする必要があります。イエス様はおっしゃいました。


(マタイ5:23-24)

祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。


繰り返しますが、イエス様には赦されています。イエス様は僕らの罪をなだめるためのいけにえとして十字架で死んでくださいました。代償のささげものはイエス様ご自身が命を支払って終えてくださいました。イエス様の赦しは完璧です


(6-7節)

その人は羊の群れから、傷のない、代償として評価された雄羊一匹を、主への自分のための代償のささげ物として、祭司のところに連れて行く。祭司は主の前でその人のために宥めを行う。彼は、自分が行って責めを覚えるようになったどのことについても赦される。」


僕らが傷つけてしまた相手、被害を与えてしまった相手への賠償や信頼回復や和解には時間がかかるかもしれません。それでも逃げずに和解し賠償するようにと聖書は教えています。時間がかかっても、僕らはあきらめずに隣人との平和と和解を祈り、求め、行動することが大事です


「全焼のいけにえ」は礼拝者の神様への献身を表すささげものです煙になるまで焼き尽くすのは「私の全ては神様のものですという献身を表していました。聖書は「全焼のいけにえ」の火は一晩中「絶えず」「毎日」燃え続けさせなさい、と教えます。


9節)

「アロンとその子らに命じよ。全焼のささげ物についてのおしえは次のとおりである。全焼のささげ物そのものは、一晩中、朝まで祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火をそこで燃え続けさせる。


(12-13節)

12,祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。祭司は朝ごとに、その上に薪をくべ、その上に全焼のささげ物を整え、その上で交わりのいけにえの脂肪を焼いて煙にする。火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。


僕らの人生は全部神様のものです。日曜だけの献身でなく、教会にいる時だけの信仰でなく24時間毎日ずっと、僕らは神様へのささげものです。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。」(ローマ12.1)と聖書は言います。僕らの人生は全部、神様に喜ばれるささげる人生、隣人との和解の人生、回復の人生です。神様がそうしてくださいます。ささげましょう。神様がそのように導いてくださいます。日によって変わるのでなく、毎日が神様にささげる日、回復の日、和解の日です


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