イエス様の力はそれを「信じる」人に与えらます。イエス様がする事は弟子たちがします。これは今も同じです。教会はキリストの体であり一人一人はその器官です。(1コリント12.27)イエス様がする事は僕ら教会のひとりひとりがします。イエス様の権威は本当に弟子たちに現れたし、今も現れています。
(6-7)
それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。
また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。
(12-13)
こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、
多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。
イエス様の権威を受け取る方法はただ一つ「信仰」です。使徒たちは信じることでイエス様の権威を同じように用いることができました。その時、イエス様はいくつか注意事項を言われました。それはイエス様以外に保険をかけず、モノやお金で安心しようとせず、イエス様が与えてくださることだけを信頼して旅をすることです。必要なものは必ず与えてくださるからです。
(8-10)
そして、旅のためには、杖一本のほか何も持たないように、パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、
履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。
また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまりなさい。
神様の力と養いの中で神様に守られ愛されて生きる世界を「神の国」といいます。当時の使徒たちに限らず、イエス様は僕らに「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(何を食べるか、何を飲むか、何を着るか)はすべて与えられます。」と言われます。(マタイ6.33)
反対にイエス様の権威を信じないなら与えられません。信じない、というお望み通りになります。イエス様の郷里では人々は信じませんでした。その結果、イエス様は何も力あるわざを行うことができませんでした。信じないことは受け取り拒否と同じです。
(3-5)
この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
それで、何人かの病人に手を置いて癒やされたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。
信じることは僕らが思う以上にすごいことです。「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」(ローマ10.17)今日もイエス様の言葉を聞き、信頼して従いましょう。必要は全て与えられます。ハレルヤ!
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