2023年1月23日月曜日

レビ7.22-38

 牧師は神様にささげられた献金の中から生活費が与えられます。そのようになったルーツは、神殿で仕える祭司の生活が礼拝する人々のささげものの中から与えられていたことです


(29-35)

「イスラエルの子らに告げよ。交わりのいけにえを主に献げる者は、自分の交わりのいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って行かなければならない。祭司はその脂肪を祭壇の上で焼いて煙にする。その胸肉はアロンとその子らのものとなる。あなたがたは、自分たちの交わりのいけにえのうちから右のもも肉を、奉納物として祭司に与えなければならない。アロンの子らのうち、交わりのいけにえの血と脂肪を献げる者が、その右のもも肉を自分の受ける分とする。それは、わたしが、奉献物の胸肉と奉納物のもも肉をイスラエルの子らから、その交わりのいけにえから取り、それらを祭司アロンとその子らに、イスラエルの子らから受け取るべき永遠の割り当てとして与えたからである。」これは、アロンとその子らが祭司として主に仕えるようになった日に、主への食物のささげ物のうちから彼らが受け取る分となった。


祭司が神様のものから生活の糧が与えられていたように、今も牧師や宣教師などみことばに仕える人は神様から生活費が与えられます。そのことを新約聖書では次のように教えています。


(1コリント 9:7)

いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。


(1コリント 9:13-14)

あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。


(1テモテ 5:17)

よく指導の任に当たっている長老(牧師の立場の人)は、二重に尊敬(報酬)を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです


もともと、この世にある食べ物も、何かをする能力も全部が神様から与えられたものです僕ら人間はそれを感謝して神様にささげます。神様は人間がささげたものを喜んでくださり、生活に必要なものを与えてくださいます。まるで、神様とキャッチボールをしているかのようです神様にささげる人は与えられます。神様にささげるほどに与えられるし、また、喜んでもっとささげたいと思うように帰られます。

僕らが預かっている時間もお金も神様からのものですそれをささげると失うどころか、喜びと感謝が返ってきます。


祭司がささげものの中から生活に必要なものが与えられることは義務とかルール以上に、神様との喜びと祝福のキャッチボールのようでした。これは現代も同じです僕らが預かっているものを主にささげると、天の喜びが地上に返ってくるかのようです教会に献身している人の生活が献金の中から与えられるのは、義務やルールで終わるものではありません。神様との喜びの交わりであり、感謝のキャッチボールのようです


教会の指導者が奉仕する時、「喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」と聖書は言います。(ヘブル13.17)教会の予算案を考えるときも、義務とかルール以上に、僕らの心がいつも神様への感謝と喜びに溢れたものでありますように。ハレルヤ!

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