僕ら人間はもともと神様といつも一緒で、神様に丁寧にお世話され愛されるように作られました。そのことを聖書は良く育つぶどうの木のように表現しています。実際、イスラエル人たちはまるでぶどうの木のように良い土地を与えられ、祝福され、守られどんどん増えて大きくなりました。これが本来の神様と人間の関係です。
(8-11節)
あなた(神様)はエジプトからぶどうの木(イスラエル人たち)を引き抜き異邦の民を追い出してそれを植えられました。
その木のためにあなたが地を整えられたのでそれは深く根を張り地の全面に広がりました。
山々もその影におおわれました。神の杉の木もその大枝に。
ぶどうの木はその枝を海にまで若枝をあの川にまで伸ばしました。
ところが、彼らは高ぶって神様を知らないと言い、愛されお世話されることを拒否しました。まるで、ぶどうの枝がぶどうの木と離れるかのように、神様を拒否し神様と距離をおきました。ぶどうの枝が木から離れたら生きていけないように、僕らは神様から離れたら生きていけません。
(ヨハネ15.5-6)
わたし(イエス様)はぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
実際、イスラエル人たちは神様から離れたら生きていけないはずなのに、神様から離れて悲惨な体験をしました。国は奪われ、略奪され、全てを失いました。
(4-6節)
万軍の神主よいつまであなたの民の祈りに怒りを燃やされるのですか。
あなたは彼らに涙のパンを食べさせあふれる涙を飲ませられました。
あなたは私たちを隣人らの争いの的とし私たちの敵は私たちを嘲っています。
この祈りは繰り返して「元に戻してください」とという祈りです。神様から離れて闇の中をさまようように苦しむ彼らに光をてらしてください、と祈ります。
(3)
神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。
(7)
万軍の神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。
(14)
万軍の神よどうか帰って来てください。天から目を注ぎご覧になってください。このぶどうの木を顧みてください。
(19)
万軍の神主よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。
僕らが苦しみ、闇の中をさまようのは神様から離れているからです。本当は僕らは丁寧にお世話され、愛され、守られるぶどうの木です。
離れてしまったのは僕らの罪です。でも、手遅れはありません。神様、帰ってきてください、助けてください、光をください、と祈りましょう。「そうすれば私たちは救われます。」僕らが苦しみの中でできることはただ一つです。助けてください、戻してください、と祈ることだけです。
僕らが見捨てられたように感じるのは、本来の僕らではありません。僕らは愛されるぶどうの木のようです。そのように回復するのも100パーセント神様によります。イエス様はイエス様は「闇を照らす光」「すべての人を照らすまことの光」「人を照らすいのちの光」です。自分の頑張りとか、何か善行を積んだとか、そういうことで救われるのではありません。ただ、光であるイエス様が僕らを回復してくださる、100パーセント神様によります。僕らができることがあるとすれば「神様、元に戻してください」と祈るだけです。神様を求めることだけが救いです。そして、神様が僕らを回復させてくださいます。
僕らは素晴らしい、愛され守られるぶどうの木に戻る途中です。今日も神様を求めましょう。
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