2023年1月19日木曜日

レビ8.1-13

 どうやったら牧師になれるの?って聞かれたことがありますが、それは自分がなることではなく、神様が選んで呼んでくれることです。「自分は牧師に召されている」という確信は聖書のことばによって確かにされます。ちなみに、本人としては「自分はムリです」という人が多いようですさらに、選ばれ任命される人は本人だけでなく必ず教会の人たちも同じような気持ちを持つようになります。なぜなら教会はキリストのからだと書かれいるし、教会は真理の柱、とさえ書かれているからです。(1テモテ3.15)キリストのからだに繋がった周囲の人たちとと一致して同じ気持ちで選ばれ任命されることが大事です聖書は個人プレーを教えていません。


レビ記によると、この時から祭司は神様に選ばれ、個人的な任命でなく、イスラエル人みんなの前で任命されました。神様は祭司を任命する時に「全会衆を会見の天幕の入り口に集めよ。」と言われました。(3節)この働きは神様の選びであり任命です同時に会衆が一致して認める任命です


(1-4節)

主はモーセにこう告げられた。「アロンと、彼とともにいるその子らを連れ、装束、注ぎの油、罪のきよめのささげ物の雄牛、二匹の雄羊、種なしパンのかごを取り、全会衆を会見の天幕の入り口に集めよ。」モーセは主が命じられたとおりにした。会衆は会見の天幕の入り口に集まった。


祭司として選ばれたアロンと息子たちはまず、水で洗われました。


(5-6節)

モーセは会衆に言った。「これは、主が行うように命じられたことである。」

モーセはアロンとその子らを近づかせ、彼らを水で洗った。


これは罪が赦され、きよめられたことを現しています。僕らも何かするときにまず罪を認めて告白することが大事ですどんな罪も認めて告白し、それを捨てるならきよめられます。


(1ヨハネ 1:9)

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。


そして祭司は決められた服を着せられ、神様のものとなります。決められた服装には意味がありました。神様のものとされ、人々を代表して祈る祭司としての意味ですかぶり物の金の札には「主の聖なるもの」と書かれています。(出エジプト39.30)つまり、選ばれた祭司は完全に神様のものです


(7-9節)

そしてアロンに長服を着せ、飾り帯を締め、その上に青服をまとわせ、さらにその上にエポデを着せた。(…中略…)また、彼の頭にかぶり物をかぶらせ、さらに、そのかぶり物の前面に金の札すなわち聖なる記章を付けた。主がモーセに命じられたとおりである。


モーセは、アロンの頭に油を注ぎました。油が注がれることは、聖書では聖霊が注がれることをあらわしています。つまり、アロンは神様の聖霊を受け、聖霊が宿る神様の人となります。


(12節)

また、注ぎの油をアロンの頭に注いだ。こうして彼に油注ぎを行い、彼を聖別した。


新約聖書によると、祭司は一部の人だけではなく、クリスチャンはみんな祭司だと書かれています。(1ペテロ2.9)クリスチャンには聖霊が注がれ、聖霊が住んでおられます。だから、僕らの体は神様のものです


(1コリント6.19-20)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのですですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。


僕らがクリスチャンになったのは神様の選びと任命です。しかも、それは一人でなることではなく、教会のみんなに認められてバプテスマを受けます。バプテスマは神様にもみんなにも正式に認められる日のようですクリスチャンになることも、牧師になることも、全部が神様から出たことです。僕らは神様から選ばれ、教会のみんなが認めてくれてクリスチャンになりました。しかも、周りの人たちのことを祈り、とりなす祭司となりました。そして、僕らの体に聖霊が住んでおられます。24時間365日神様のものです。もう、自分の体でなく、神様のものです。すごい身分をいただいています。感謝しましょう。ハレルヤ!

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