2023年2月13日月曜日

ヨエル3章

 愛する人を苦しめたり傷つけたりする者に対して、神様は容赦せずに報復なさいます。聖書は「復讐はわたし(神様)のすることである。わたしが報いをする」と何度も書かれています。神様の愛する人たち(このヨエル書ではユダヤ人たち)を奴隷に売ったり、神様のための財宝(エルサレムの神殿にあったもの)を奪ったことなど、愛する人たちが苦しめられた全てに報復することが預言されています。神様が愛する人々は「宝の民」です敵に対する怒りと裁きはユダヤ人を守るだけでなく、イエス様が命がけで愛しているクリスチャンを迫害し苦しめた人たちにも下されます。これは世界規模の裁きの預言です



2 わたし(神様)はすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷(場所は不明ですが神様が報復する所です)に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。

彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。

3 彼らはわたしの民をくじ引きにし、子どもを遊女のために与え、酒のために少女を売って飲んだ。

4 ツロとシドンよ。

おまえたちは、わたしに何をしようとするのか。

ペリシテの全地域よ。

おまえたちはわたしに報復しようとするのか。

もしおまえたちがわたしに報復するなら、わたしはただちに、おまえたちの報いを、おまえたちの頭上に返す。

5 おまえたちはわたしの銀と金とを奪い、わたしのすばらしい宝としている物をおまえたちの宮へ運んで行き、 

6 しかも、ユダの人々とエルサレムの人々を、ギリシヤ人に売って、彼らの国から遠く離れさせたからだ。



僕らは苦しめられることがあっても「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。」と聖書は言います。(ローマ12.19)その「神の怒り」はすごすぎます。世界中の人びとが殺されていきます。このヨエル書では神様に殺されていく人びとの血がまるでぶどう酒が流れ出すように書かれています。これはこの世の終わりに起こる神のさばき(黙示録)と同じ表現です


12 諸国の民は起き上がり、ヨシャパテの谷に上って来い。

わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。

13 かまを入れよ。

刈り入れの時は熟した。

来て、踏め。

酒ぶねは満ち、石がめはあふれている。

彼らの悪がひどいからだ。

14 さばきの谷には、群集また群集。

主の日がさばきの谷に近づくからだ。


(新約聖書 黙示録14.18-20)

すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオン(300キロメートル)に広がった。



裁かれる人の数は数え切れません。「群集また群集」です。(14節)神様の裁きは必ず起こります。最後の日には全員が神様に裁かれます。


(黙示録20.12)

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じて裁かれた」



神様の怒りの前には天地も震えると書かれています。


15 太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。

16 主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。

天も地も震える。


愛する人たちが傷つけられたことを、まるでご自分に対してされたように怒り復讐されます。そのことはイエス様もハッキリとおっしゃってます。


(マタイ25.40)

まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです


ここでイエス様が言われた「わたしの兄弟たち」というのは、このヨエル書によるとユダヤ人たちです聖書全体から言うと悔い改めて赦されたことを信じる人たちです彼らを迫害したことに対して、イエス様は「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。」(マタイ25.42)と宣言されます。逆に、命を賭けて、彼らをかくまい、助け、食事を与えた者たちは御国の中に入れます。


この怒りと裁きを読むならば、僕らの人生は「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」などに無駄遣いしてる場合ではありません。自分のために何をした、儲かった、上手くいった、結果を出した、などは殆ど意味がありません。すべきことは、神様を愛し隣人を愛することだけですイエス様はおっしゃいます。聖書は「特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」と言います。(ガラテヤ6.10)信仰の家族は神様にとって命よりも大事な宝だからです神様が愛する人を守り救うための怒りは大きすぎます。僕らがどちら側につくべきかは明白です


16 主は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。

17 あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、わたしの聖なる山、シオンに住むことを知ろう。

エルサレムは聖地となり、他国人はもう、そこを通らない。

18 その日、山々には甘いぶどう酒がしたたり、丘々には乳が流れ、ユダのすべての谷川には水が流れ、主の宮から泉がわきいで、シティムの渓流を潤す。


神様の民を愛しましょう。神様の家族を大事にしましょう。神様の宝の人々に敵対する人は神様にたてつくようなものですそれは自殺行為です。神様がアブラハムに言われた「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」(創世記12.3)と言うことばは、その子孫であるユダヤ人たちにも、そして、僕らクリスチャンにも適用できます。僕らの人生が神様を愛し、神様が愛する人たちを大事にする人生でありますように。ただ、神様に喜ばれる人生でありますように。ゴールを見失うことがありませんように。

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