民数記32章
僕らは個人主義の文化で生活しています。他人とあまり深入りせず、ほどほどに、と思います。…ですが神様の願いは真逆です。僕らは「キリストにあって一つのからであり、一人ひとりは互いに器官なのです」(ローマ12.5)とあるように、クリスチャンは霊的に一体です。誰かが痛めば全体の痛みになり、誰かの喜びはみんなの喜びになります。(1コリント12.26)神様への従順さも全体に影響します。誰かが神様に従わないなら、それは全体を弱らせます。
神様はイスラエルに「乳と蜜の流れる土地を与える」と言われていました。それはヨルダン川の向こう側です。ところが、ルベン族とガド族はそこに入る前に家畜に適した土地を見つけて、「ここに住みたい」とモーセに言い出します。モーセはそれを聞いて怒ります。
(1)
ルベン族とガド族は、多くの家畜を持っていた。それは、おびただしい数であった。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は家畜に適した場所であった。
(4-5)
主がイスラエルの会衆の前で打ち滅ぼされたこれらの地は、家畜に適した地です。そして、しもべどもには家畜がいます。」
また言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうか、しもべどもがこの地を所有地として賜りますように。私たちにヨルダン川を渡らせないでください。」
モーセの怒りの理由は彼らが自分の家畜の都合を優先していることです。みんなが神様に従って戦わなければならない時に、自分達だけ戦わないで「お先にゴール」みたいだし、しかも、その土地は神様が与えるとおっしゃった「ヨルダン川の向こう」ではないからです。
この妥協はイスラエル全体を意気くじきます。一部の罪は全体に影響します。
モーセは言います。
(6-7)
モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたはここにとどまるというのか。
どうして、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか。
40年前に神様の土地を偵察した時も、一部の人たちが「無理だ、あそこには巨人がいる」「私たちは殺される」などと恐れや不安をあおって、全体を不従順の罪に陥れました。結果、その世代の人たちは全員が滅んでいきました。
モーセは「40年前の教訓を忘れたのか!」と怒ります。
(9-11)
彼らはエシュコルの谷まで上って行って、その地を見たとき、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地に入って行かないようにした。
あの日、主は怒りに燃え、誓って言われた。
『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはない。わたしに従い通さなかったからである。
神様のことばより自分の都合で「ここに住みたい」「家畜に適しているから」というのは、「全体を滅ぼすことになる」とモーセは警告します。親の世代が本当に見捨てられて滅んだばかりでした。
(13-15)
事実、主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを四十年の間、荒野をさまよわせ、主の目に悪であることを行ったその世代の者たちは、ついに、みな死に絶えた。
そして今、あなたがたが、罪人の子らとしてあなたがたの父たちに代わって立ち上がり、イスラエルに対する主の燃える怒りを増し加えようとしている。
あなたがたが背いて主に従わないなら、主は再びこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたは、この民全体に滅びをもたらすことになるのだ。」
この警告を聞いて、ルベン族とガド族は考えます。一抜けしてラクをするのではなく、「誰よりも先頭に行って戦い、最後まで家に帰りません」と提案します。「その代わり、ここの土地に住まわせてください」という提案です。
(17-18)
しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進みます。子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。
私たちは、イスラエルの子らがそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。
モーセはこの提案を受け入れ、ルベン族とガド族は本当に「イスラエルの子らの先頭を進んで」最後まで戦いました。(ヨシュア4.12-13)そして同時に、ヨルダン川を渡らずに「こちら側」に住むことも許可しました。
この土地が本当に良かったのかどうかわかりません。ちなみに、後でアッシリヤに侵略されるときに彼らは真っ先に捕まっています。(1歴代5章)
誰かが神様に従わないなら、それは全体を弱らせます。逆に、神様に従順であることも全体に影響します。僕らは霊的に一体です。
聖書は少しのパン種が全体を膨らませるように、悪影響は広がると言います。(1コリント5.6)また、心の中に「苦い根」があると周りの人たちも汚染されます。(ヘブル12.15)逆に、良い影響も広がります。一人の献身は全体に良い影響を与えます。ピネハスという人は神様の怒りを自分の怒りとし、偶像を拝み淫らなことをしている人を殺すことで「するとイスラエルの子らへの主の罰が終わった。」とあります。(民数記25章8節)
僕らの中には少しの妥協、罪、ごまかし、従いたくないこと、ラクしたいことがあります。ちゃんと認めて神様に言いましょう。神様の怒りを受け、すでに殺された方はいます。イエス様です。イエス様によって僕らは赦され、きよめられます。すでにもうきよくされています。今日もう一度告白して新しい神様の心をもらいましょう。(1ヨハネ1.9)クリスチャンは霊的に一体です。神様への従順さも、逆に従わないことも全体に影響します。今日、主に従いましょう。ささげましょう。一人の献身はみんなを明るくし、祝福します!
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