民数記31.48-54
神様は人間に良いものを与えます。
美術とか、音楽とか、文学とか、建築とか、デザインとか、美しいものを作る技術も、です。すべては神様の美しさを表したものであり、本来、神様をほめたたえ、神様と一緒に喜ぶためのものです。それらは本来、神様の美しさや、素晴らしさをを表すためものです。
ところが、人間は堕落し、それらを自分の欲望やプライドや自分の栄光のために使うようになりました。
神様はイスラエル人たちを性的に堕落させたミディアン人たちを滅ぼし尽くします。残ったものは女性たちが身につけていた美しい飾り物です。指揮官たちはそれを手に入れました。そして彼らはそれら美しい金の装飾品を神様にささげるために持ってきました。
"モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。
それで、私たちは、各自が手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主へのささげ物として持って来ました。主の前で私たち自身のための宥めとしたいのです。」
モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。"
民数記 31章49~51節
これら高級な装飾品は、もともと女性たちが淫らな事のため、男を誘惑するため、自分の美しさを誇るため、バアル礼拝の儀式のため、つまり罪のために使っていたものでした。欲望と偶像礼拝の道具だった金の装飾品が今度は神様へのささげ物になります。
"モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。
千人の長や百人の長たちが主に献げた奉納物の金は、全部で一万六千七百五十シェケルであった。"
民数記 31章51~52節
僕ら人間は神様からの技術や芸術を自分の欲のため、偶像礼拝のため、自分の栄光のために使います。
体も才能もお金も自分のために使っていました。
ところが、イエス様によって神様の子どもとされたとき、僕らはもう一度手にしていた技術やあらゆる良いもの、素晴らしいものを神様のためにささげはじめます。これが「贖い」です。「贖い」とは「この世の技術も栄光も芸術も神様が取り戻すこと」です。
この実例が何度か聖書に書かれています。
出エジプトのとき、イスラエルはエジプトから金銀を受け取りました。(出エジプト12:35-36)その金はあとで幕屋建設に使われました。(出エジプト25章以降)幕屋建設のとき、ベツァルエルとオホリアブには特別に技術が与えられました。
"「見よ。わたしは、ユダ部族に属する、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、
彼に、知恵と英知と知識とあらゆる務めにおいて、神の霊を満たした。
それは、彼が金や銀や青銅の細工に意匠を凝らし、
はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。"
出エジプト記 31章2~5節
この職人の技術も、元はエジプトの偶像文化の中で磨かれた芸術です。
神様それを神様の聖なる幕屋の建設に転用しました。
同じように、僕らが預かっている創造性とか美意識とか技術力は、この世で学んだことであっても本来神様から預かり、神様の栄光のために用いるものです。技術は偶像にも用いられるし、神様の栄光のためにも用いられます。
美術とか、音楽とか、文学とか、建築とか、デザインとか、美しいものを作る技術は神様のためのものです。もう一度、与えられているものを神様にささげましょう。他の人と比べる必要はありません。預かってる量はそれぞれです。多く預かっている人は多く求められます。主の栄光のために用いていただきましょう。ささげましょう。お返ししましょう。ハレルヤ!
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