民数記31.25-54
給料をもらった時とか、何かを手にした時に「俺が頑張ったから当然!」と思うか「神様が与えてくれた」と思うかで神様への態度も、周りへの態度も変わります。ちなみに会社員の頃は僕はいつも「こんなに頑張ったのに…」と不満ばかりを言っていました。
神様の裁きとして、神様はイスラエルを用いてミディアンを滅ぼして多くの戦利品を手にしました。これは彼らが勝手に戦ったのでも頑張ったのでもはなくて、神様が「ミディアン人に復讐を果たせ。」と命令されたものです。(2)
結果としての戦利品は神様から与えられたものです。それで、その使い道や配分も神様は丁寧に教えてくれました。「誰のおかげ」とか「もっとよこせ」とか、欲に引っ張られて自分の手柄にしたがる人間にとって神様が教えてくださる配分は助けになります。
"主はモーセに言われた。
「あなたと祭司エルアザル、および会衆の氏族のかしらたちは、人でも家畜でも捕らえて分捕ったものの総数を調べ、
その分捕ったものを、戦に出た者たちと全会衆の間で二分せよ。
戦に出た戦士たちからは、人、牛、ろば、羊の中からそれぞれ五百のうち一を、主への貢ぎとして徴収せよ。
彼らが受けるその半分の中から取って、主への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならない。
イスラエルの子らが受けるもう半分の中から、人、また牛、ろば、羊、それぞれの家畜から、それぞれ五十のうち一を取り出して、主の幕屋の任務に当たるレビ人に与えなければならない。」
そこでモーセと祭司エルアザルは、主がモーセに命じられたとおりに行った。"
民数記 31章25~31節
神様からの戦利品は兵士たちのものになり、同時に全会衆のものにもなり、祭司のものにもなり、レビ人たちのものにもなりました。
でも、人はロボットではありません。兵士たちは自発的に感謝を表したくて、決められた以上のささげものを持ってきました。
"すると、軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、
モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。
それで、私たちは、各自が手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主へのささげ物として持って来ました。主の前で私たち自身のための宥めとしたいのです。」
モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。
千人の長や百人の長たちが主に献げた奉納物の金は、全部で一万六千七百五十シェケルであった。"
民数記 31章48~52節
指揮官は感謝をささげますが、同時に「私たち自身のための宥めとしたいのです。」とも言っています。つまり、「敵だけでなく、自分たちにも罪があります。赦してください」という自覚の現れです。
神様ために用いられた人も、その人が完全なわけはないし、罪を犯さない人はいません。僕らの罪はただイエス様の十字架の血によって赦されきよめられます。イエス様以外に救いはありません。
だから今日もただイエス様に感謝をささげましょう。ささげものは自由です。多く赦された自覚のある人は多く感謝しささげます。自分の罪の赦しの大きさがわかららないとささげることが義務や強制になってしまいます。また、ささげると「俺が頑張ったから」という傲慢さから守られます。何かを成し遂げても、ささげたとしても、最初から全部神様から預かったものです。「私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。」(1歴代29.14)
今日も感謝を捧げましょう。全部神様のおかげです。ハレルヤ!
"それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。
善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。"
ヘブル人への手紙 13章15~16節
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