使徒14.1-7
迫害されてもイエス様の福音を伝え続けたパウロやバルナバの話を読むと、「さすがパウロ先生すごい!」とか思われがちです。でも実際は「パウロが頑張った」のではなくて「神様がパウロを用いて語らせてくださった」ということです。もちろんパウロ自身も忍耐しました。でも、それを支えてくださるのは神様のめぐみです。
"イコニオンでも、同じことが起こった。二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシア人も大勢の人々が信じた。
ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちを扇動して、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。
それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。"
使徒の働き 14章1~3節
イエス様との霊的な生きた関係を失うと、僕らは人ばかりを見がちになります。彼らは神様の働きよりも自分たちの伝統とか考えにこだわり、パウロとバルナバに反対し、人々を扇動して彼らに悪意を抱かせ、反対させます。これは僕らにも起こり得ることです。
一方、パウロとバルナバは攻撃されてもそこに滞在し続け、大胆に語り続けます。それは「自分の力で戦っていない」からです。もちろん忍耐したし、努力もしました。でも神様の愛と忍耐です。3節には「主によって」大胆に語ったとあります。
パウロとバルナバが強かったのではなく、語らせてくださったのは彼らの中に住んでくださる聖霊の働きでした。
イエス様もおっしゃってました。
"人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。"
マルコの福音書 13章11節
御霊の力を証明してくださるかのように、「主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」(3)とあります。
イエス様との関係を見失って自分の考えに囚われてしまった人は目の前の人だけを見てしまいます。その結果、「あの人が気に入らない」「あの人が間違っている」と人間レベルの争いになってしまいます。
"すると、町の人々は二派に分かれ、一方はユダヤ人の側に、もう一方は使徒たちの側についた。"
使徒の働き 14章4節
僕らも問題や苦しみがあってもそこにとどまるように導かれる時があります。パウロたちは最初まさにそうでした。
でも、神様が別の場所に逃れるように導いてくださる時もあります。二人が捕まりそうになり、石で殺されそうになった時、彼らは次の町に逃れます。これは福音を次の場所に届けるためでもありました。
"異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちと一緒になり、二人を辱めて石打ちにしようと企てたとき、
二人はそれを知って、リカオニアの町であるリステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、
そこで福音の宣教を続けた。"
使徒の働き 14章5~7節
パウロたちが勇敢だったのではありません。彼は後で言っています。
"私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。"
コリント人への手紙 第一 15章10節
語らせてくださるのはイエス様の御霊です。
苦しみにあっても、敵を赦し、忍耐し、迫害する人のために祈る力はイエス様から与ええられるものです。
僕らの頑張りではありません。今日も体と心をあけ渡しましょう。職場で、家庭で、学校で、あらゆる人間関係の中で、この体と心を神様に明け渡して用いていただきましょう。強い人が用いられるのではなく、弱い人の中に神様が働いてくださいます。
"私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。"
コリント人への手紙 第二 4章7節
0 件のコメント:
コメントを投稿