1歴代29.20-25
クリスチャンになって何年たっても、「神様、こうしますからああしてください」とか「ささげますから、もっと増やしてください」とか、「献金したから守ってください、奉仕したから報いてください」など「神様を利用」する気持ちがつきまといます。
でも、それは本来の神様との関係ではありません。
神様は動かそうとする相手ではないし、取引する相手でもありません。
神様の大きさに圧倒される時、特にその十字架の姿に触れる時、僕らはただひれ伏して、神様に全てを差し出したくなります。
ダビデが息子ソロモンを王様に任命した時、すべての人は神様をほめたえ、神様にひれふして身をかがめてひれ伏しました。
"そして、ダビデは全会衆に「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言った。すると全会衆は、父祖の神、主をほめたたえ、主と王の前に身をかがめてひれ伏した。"
歴代誌 第一 29章20節
「ひれ伏すこと」は上下関係をはっきりさせます。自分を神様に明け渡す行為です。「ひれ伏す」は原語で「シャーハー」です。これは「礼拝する」も同じ「シャーハー」です。「礼拝」は、自分を低くして神様の前にひれ伏すことです。また「全焼のささげ物」とは煙や灰になるまで焼き尽くすことです。それは「何も残さず全て神様にささげます」という献身を表します。
ソロモンを王にした時、会衆は千匹の牛、千匹の羊、千匹の子羊をささげ焼き尽くしました。また、その他にも多くのいけにえを捧げました。見渡す限り何千もの動物が血を流して焼かれていくのはすごい光景です。これは神様の偉大さに圧倒されて国全体が全てを明け渡したことの表れです。「ささげたから何かください」みたいなものではありません。
"その翌日、彼らは主にいけにえを献げ、主に全焼のささげ物を献げた。雄牛千頭、雄羊千匹、子羊千匹、これらに添える注ぎのぶどう酒、また全イスラエルのための多くのいけにえを献げた。"
歴代誌 第一 29章21節
ひれ伏すとか、献身と聞くと、「痛々しいな…」「苦しそうだな…」と思う人もいますが、そこには喜びがあり、楽しみがあり、自由があります。
"その日、彼らは大いに喜んで、主の前で食べたり飲んだりし、改めてダビデの子ソロモンを王とし、主の前で油を注いで君主とした。また、ツァドクを祭司とした。
こうしてソロモンは主の王座に就き、父ダビデに代わって王となった。彼は栄え、全イスラエルは彼に聞き従った。
すべての首長たち、勇士たち、そしてダビデ王のすべての息子たちも、ソロモン王に忠誠を誓った。"
歴代誌 第一 29章22~24節
国民全てが神様にひれ伏してゆだねるとき、結果として神様にも王様にも喜んで忠誠を誓うことができました。それは国の繁栄にもつながりました。
"主はソロモンを全イスラエルの目の前に非常に大いなる者とし、彼より前にイスラエルを治めたどの王にも見られなかった王の威厳を、彼に与えられた。"
歴代誌 第一 29章25節
僕らはがんばって献身するものではありません。先に、すべてをささげ尽くして血を流して下さったイエス様を見上げます。あの十字架を見上げてその愛に圧倒される時、僕らはひれ伏して自分をささげたくなります。
すべてが神様のものです。時間も、お金も、力も神様のものです。ダビデが言う通りです。「このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、(…中略…)すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」(14節)
僕らのものは1つもありません。全部が神様のものです。今日も「全てはあなたのものです」と告白してひれ伏しましょう。そこには自由があり喜びがあります。ハレルヤ!