エレミヤ18.1-10、19章
年齢とともに考えは凝り固まって柔軟性を失いがちですが、聖霊を受けた人はしなやかさを保ちます。御霊の実は柔和さです。(ガラテヤ5.23)聖霊はガンコな石の心を取り除き、新しい心を与えてくださいます。(エゼキエル36.26)聖霊を受けた人は、まるで陶器師の手ある粘土のように、何度でも神様の気に入る形に作り替えられます。
"主からエレミヤに、このようなことばがあった。
「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたにわたしのことばを聞かせる。」
私が陶器師の家に下って行くと、見よ、彼はろくろで仕事をしているところだった。
陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。
それから、私に次のような主のことばがあった。
「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか──主のことば──。見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。"
エレミヤ書 18章1~6節
柔らかい粘土は形を変えてもらうことができます。そして神様の気に入った形になれます。ところが固まってしまった人は二度と直すことはできません。ユダ王国とエルサレムの人たちは神様を怒らせ悲しませることに凝り固まってしまいました。何度も変えられるチャンスはあったのに、悔い改めて新しくされることを拒否し続けた結果、どうしようもなく硬くなってしまった彼らです。
"彼らがわたしを捨てて、この場所を見知らぬ所としたからである。彼らはこの場所で、彼らも彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲を供え、この場所を咎なき者の血で満たし、
バアルのために自分の子どもたちを全焼のささげ物として火で焼くため、バアルの高き所を築いた。このようなことは、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかった。
それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはやこの場所はトフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。
また、わたしはこの場所で、ユダとエルサレムのはかりごとを打ち砕く。わたしは敵の前で彼らを剣で倒し、また、いのちを狙う者の手によって倒し、その屍を空の鳥や地の獣に餌食として与える。
また、わたしはこの都を恐怖のもと、また嘲りの的とする。そこを通り過ぎる者はみな呆気にとられ、そのすべての打ち傷を見てあざ笑う。
またわたしは、包囲と、彼らの敵、いのちを狙う者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いに、その友の肉を食べ合う。』"
エレミヤ書 19章4~9節
こうなっちゃったら、もう変えられることができません。ただ、砕かれて捨てられるだけです。
"そこであなたは、同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて、
彼らに言え。『万軍の主はこう言われる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。このように、わたしはこの民と、この都を砕く。人々はトフェトに空き地がないまでに葬る。
わたしはこの場所と──主のことば──その住民にこのようにする。わたしはこの都をトフェトのようにする。"
エレミヤ書 19章10~12節
完全に焼き固められたあとでは、もう作り直せません。だから神様はその前に、柔らかいうちに戻ってくるようにと呼びかけておられます。「変えられなさい」です。
"この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。"
ローマ人への手紙 12章2節
聖霊を受けている人は、変えていただくことを躊躇しません。「このカタチでオッケー」とは思いません。聖霊を受けた人はしなやかさを保ちます。そして神様はずっと変え続けてくださいます。高齢=頑固さではありません。聖霊は石の心を取り除き、新しい心を与えてくださいます。(エゼキエル36.26)神様、僕らの心を明け渡します。今日も僕らを新しい、神様の気に入る形に変えてください。
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