エレミヤ20章
人間は弱いものです。暴力や暴言を受けて大丈夫な人なんていません。エレミヤはこの国の滅びのメッセージを人々に伝えたことで人々から嫌われ迫害されました。ある日は祭司パシュフルからブチ切れられて、殴られ、足かせをつけられて牢屋に入れられます。
"さて、主の宮のつかさ、また監督者である、イメルの子、祭司パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。
パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある、上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。"
エレミヤ書 20章1~2節
翌日にはエレミヤは釈放されたけど、その時にも彼は神様からの言葉をパシュフルに伝えます。でも、彼は弱い人間です。殴られ監禁されるのは傷つき消耗します。「こんなに辛いんだったらもう辞めたい」と思いつつ、です。
"翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき、エレミヤは彼に言った。「主はあなたの名をパシュフルではなく、『恐怖が取り囲んでいる』と呼ばれる。
まことに主はこう言われる。見よ。わたしはあなたを、あなた自身とあなたの愛するすべての者にとって恐怖とする。彼らは、あなたが見ている前で、敵の剣に倒れる。また、わたしはユダの人すべてをバビロンの王の手に渡す。彼は彼らをバビロンへ引いて行き、剣で打ち殺す。
また、わたしはこの都のすべての富と、すべての労苦の実と、すべての宝を渡し、ユダの王たちの財宝を敵の手に渡す。彼らはそれをかすめ奪い、略奪してバビロンへ運ぶ。
パシュフルよ。あなたとあなたの家に住むすべての者は、捕らわれの身となってバビロンに行き、そこで死んで、そこに葬られる。あなたも、あなたが偽って預言を語り聞かせた、あなたの愛するすべての者たちも。」"
エレミヤ書 20章3~6節
エレミヤは疲れ切って「もうムリ…」と神様に正直に言います。神様の言葉を伝えるたびに馬鹿にされ、笑われ、傷つくだけです。「もう主のことばは宣べ伝えない。」って思いました。それでも神様の言葉は生きていて、心の奥で燃えていて、どうしても黙っていることができません。
"私は一日中笑いものとなり、皆が私を嘲ります。
私は、語るたびに大声を出して『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。主のことばが、一日中、私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。"
エレミヤ書 20章9節
こんなに辛いのに、神様のメッセージを伝えることをやめないのは、これがエレミヤの力ではないからです。これは今も同じです。聖書の言葉は聖霊のことばです
弟子たちに聖霊が降った時、それは炎のような舌(言葉)でした。弟子たちは、聖霊を受けた時から神様の言葉を語り始めました。
"また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。"
使徒の働き 2章3~4節
今も同じく、僕らが話すのは人間のことばではありません。聖霊は言葉です。神様の言葉は生きていて人々を滅ぼしたり生かしたりする権限があることばです。聖書のメッセージは作るものではありません。聖霊によって与えられるものです。「もう辞めたい」と思う日もあると思います。それでも僕ら人間が用いられます。でも自分で話をしているのではありません。語るのは御霊です。
"人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。
話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。"
マタイの福音書 10章19~20節
人間は弱いものです。傷つけられて大丈夫な人なんていません。それでも続けられるのは、僕らの働きではなくて、聖霊の働きだからです。主のことばは生きています。僕らが語るのではありません。父の御霊が話してくださいます。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿