2022年12月21日水曜日

詩篇106.24-48

 壁に当たるのは僕らの罪が原因なことがよくあります。イスラエルの歴史を見ると、人が傲慢になり罪に溺れる時に神様の恵みが取り去られ、ひどい苦しみに会うことがよくありました。

 

(28-29)

彼らはまたバアル・ペオルとくびきをともにし死者へのいけにえを食べた。こうして自らの行いによって御怒りを引き起こし彼らに主の罰が下った。

 

(37-42)

彼らは自分たちの息子と娘を悪霊へのいけにえとして献げ咎なき者の血を流した。彼らの息子や娘たちの血それをカナンの偶像のいけにえとした。こうしてその国土は血で汚された。このように彼らはその行いによって自分を汚しそのわざによって姦淫を犯した。それで主の怒りは御民に向かって燃え上がり主はご自分のゆずりの民を忌み嫌われた。主は彼らを国々の手に渡されたので彼らを憎む者たちが彼らを支配した。敵どもが彼らを虐げたので彼らは征服され敵の手に下った。

 

聖書は救いの書です。人は苦しみで身動きが取れなくなった時、はじめて神様に心から叫びます。聖書は「心貧しい者は幸いです「悲しむ者は幸いです」「義に飢え乾く者は幸いですと言います。その時に心から神様に叫び求めるからです神様は貧しい者の叫びを無視することはありません。神様を求める人に必ず答えてくださいます。

 

(44-46)

それでも彼らの叫びを聞いたとき主は彼らの苦しみに目を留められた。

主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし豊かな恵みにしたがって彼らをあわれまれた。彼らを捕らえ移したすべての者たちから彼らがあわれまれるようにしてくださった。

 

苦しみはイヤなものです。でも、苦しみがないと僕らは本気で神様を求めようとしないのも現実です。苦しみは神様に向かうための神様からの恵みです。疲れた時、うまくいかない時、悲しく重い時、神様を求める時です求めましょう。主は答えてくださいます。「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5:20)

 

(詩篇 119:71)

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。

 

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