看板を高く表示するためには支える柱と土台が必要なように、神様のみことばの真理を掲げるためにも柱や土台が必要です。聖書の宣言を貼り付け、支持し持ち上げる柱の役目をするのはなんと教会です。
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神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。
土台や柱がぐちゃぐちゃだと、看板を掲げることができません。「愛し合いなさい」という教えを掲げながら内輪モメをするなら倒れてしまいます。御霊は自制を与えてくれる、と掲げながら自制できなかったり、礼儀に反することをしない、と掲げながら無礼なことをしたり、赦し合いなさい、と掲げながら恨み合っているなら真理を支えることができません。教会のリーダーは特に聖書の教えを支持しているかどうかが問われます。
(2-5)
ですから監督は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、
酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、
自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません。
自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会を世話することができるでしょうか。
僕ら教会の一人一人が今日も真理のみことばを掲げ表示しますように。僕らが毎日みことばによってきよめられ、矯正され、生活が神様の真理のことばを表すものでありますように。教会が「真理の柱と土台である、生ける神の教会」でありますように。
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