旧約聖書は神様がユダヤ人たちを祝福してくださることを約束しています。祝福の約束とは、やがてキリストが現れて王国が完成し、その国民は素晴らしい祝福をいただくことです。これはキリスト教もユダヤ教も同じです。両者とも同じ約束を信じています。今もそうです。
では両者の違いは何かというと、イエスという人が本当に約束されたキリストなのかどうか、ということです。パウロは熱心なユダヤ教徒(中でも厳格なパリサイ派)であり、旧約聖書に書かれているキリストによる祝福を待ち望んでいました。
(5-7)
私は、私たちの宗教の中で最も厳格な派にしたがって、パリサイ人として生活してきました。
そして今、神が私たちの父祖たちに与えられた約束に望みを抱いているために、私はここに立って、さばかれているのです。
私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでいます。王よ。私はこの望みを抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。
パウロはイエスは異端、ニセものだとして信じる人たちを徹底的に攻撃していました。「正しいことを教えなければ」という正義感と使命感に基づく熱心さでした。パウロは裁判の席で以下のように証言しています。イエスを信じる人たちに罰を与えて無理やりイエスを否定することを言わせて直してやろうと思っていたようです。
(9-11)
実は私自身も、ナザレ人イエスの名に対して、徹底して反対すべきであると考えていました。
そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。
そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害して行きました。
しかし、イエス様こそ預言されていたキリストでした。イエス様は直接パウロに現れ、語りかけてくださいました。イエス様こそ人を闇から光へ、サタンから神様に立ち返らせてくださり、罪を赦し、王国を相続させてくださる方です。イエス様を信じる人たちを攻撃すること=イエス様自身を攻撃することです。クリスチャンたちはキリストの愛する花嫁、一つのからだ、木と枝の関係です。両者は一つです。そして、イエス様を攻撃しても勝ち目がありません。むしろ自分を傷つけ苦しむことになります。パウロはイエス様が語りかけてくださった時のことを以下のように言っています。
(13-15)
その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
イエス様を信じる人は、約束通りに祝福されます。しかも、祝福をいただく人はユダヤ人だけではなく、異邦人たちの中からも選ばれます。イエス様を信じる人は光に移され、赦され、あらゆる祝福を相続します。
(16-18)
起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』
旧約聖書で預言されてきたキリストとは、イエス様のことでした。イエス様こそユダヤ人たちが待ち望んでいる救い主です。そして、イエス様こそ僕ら異邦人の救い主です。僕らは闇から光に移されました。サタンではなく、神様の王国に入ることができました。罪は赦されました。イエス様と一緒に素晴らしい相続が用意されています。感謝しましょう。喜びましょう。ハレルヤ!
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