2022年12月26日月曜日

使徒27.1-26

 自分の力でどうにもならない時こそ神様のみことばがはっきりと輝きます。神様のみことばは実現することばだし、闇の中に輝く光です自分の力でなんとかなる時には神様のことばへの渇望は少ないかもしれません。でも、自分ではどうすることもできない時には心から求めます。「心の貧しい者は幸い」ですCSルイスは言いました。「神は我々の楽しみの中で囁かれ、我々の良心に語られる。しかし、神は我々の痛みの中で叫ばれる。痛みは耳が不自由な世界の人々を覚醒させる神のメガホンである」

パウロを乗せた船は暴風の中で難破しそうになり、船乗りたちも乗客も全ての人が絶望している時に神様は「恐れることはありません」と言われ、船が沈むと思われる時に神様は「あなたは必ずカエサルの前に立ちます。」とおっしゃいました。パウロはそれを人々に語ります。


(18-26)

私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」


パウロは自分だけ神様のことばを聞いて終わりではなく、周りの人たちに神様のことばを伝えて励ましました。パウロと同じように、僕らにも周りの人たちを励ます役目が与えられています。この世界はますます混迷しますが、闇の中でも神様のことばは希望として与えられています。みことばが与えられる僕らは世の光だと聖書は言います。


(ピリピ2:16)

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです


僕らクリスチャンは死に向かっていく人たちに希望を与えることができます。イエス様を信じる人は罪が赦され永遠のいのちが与えられる福音のことばを与えられているからです絶望の中でも希望を語ることができるのはクリスチャンだけですパウロは人々に殴られ、めちゃくちゃな裁判を受けましたが、その時も神様は語りかけてくださり力を与えてくださいました。


(23.11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。


試練は神様のみことばを光り輝かせます。私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。(2コリント4.18)今日もみことばを求めましょう。死にかけている時でも、そうでない時でも、神様のみことばは必ず実現します。希望のことばはまずクリスチャンに与えられています。僕らはそれを伝える役目を与えられています。神様のみことばは実現することばだし、闇の中に輝く光です。ハレルヤ!

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