2022年12月21日水曜日

申命記32.1-18

 主の祈りの「御名が聖なるものとされますように」(マタイ6.9)は、神様だけが他と区別されて唯一讃えられますように、という意味です。「栄光を私たちの神に帰せよ。」と聖書は繰り返します。(3)僕らは神様を他の便利な道具や方法と同列に扱いがちです。が、神様は違います。良いものは全部神様からk。素晴らしい人も素晴らしい機会も、鍛えられたことも天候も全部ですイスラエルは奴隷から解放され、やがて素晴らしい土地や家が与えられるようになります。だのに、忘れやすいのが人間です


(10-12)

主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。

鷲が巣のひなを呼び覚まし、そのひなの上を舞い、翼を広げてこれを取り、羽に乗せて行くように。

ただ主だけでこれを導き、主とともに異国の神はいなかった。


満たされた時こそ危険ですイスラエルは満足した時に神様を軽んじるようになりました。


(13-15)

主はこれを地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と硬い岩からの油でこれを養い、

牛の凝乳と羊の乳を最良の子羊とともに、バシャンのものである雄羊と雄やぎを小麦の最良のものとともに、与えてくださった。あなたは泡立つぶどう酒を飲んだ。エシュルン(イスラエルのこと)は肥え太ったとき、足で蹴った。あなたは肥え太り、頑丈でつややかになり、自分を造った神を捨て、自分の救いの岩を軽んじた。


今まで「ただ主だけで」導かれて来たのに、「あなたは自分を生んだ岩をおろそかにし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった。」と聖書は言います。(18)


(6)

あなたがたはこのようにして主に恩を返すのか。愚かで知恵のない民よ。主はあなたを造った父ではないか。主はあなたを造り上げ、あなたを堅く立てた方ではないか。


僕らにも言われています。与え育て守ってくださったのは神様です。だのに、あの方法、あの人、そして自分を重んじ、賛美をそれらに献げようとします。「栄光を私たちの神に帰せよ。」です。「御名が聖なるものとされますように」です僕らの心がいつも主だけを賛美し感謝しますように。全てが神様のおかげです。栄光が、主にだけありますように。ハレルヤ!


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