どの牧師がいいとか、どの神学校がいいとか僕らはい。でも、人に知恵を与え、十分に整え育てるのは神学校でも牧師でもなく「聖書」です。牧師とか教師は聖書を伝え教えるしもべに過ぎません。
(15-17)
聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。
聖書だけが神様の霊感によって書かれています。僕らが霊的に教えられ戒められ矯正され訓練されるのは聖書によるしかありません。
教会の中にいろんな教えや方法があって迷ったり混乱したりするけども、聖書によって確信したところにとどまっていれば大丈夫です。
(14-15)
けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。
今日も聖書が僕らを整えてくれます。今日も聖書が良い働きをさせてくれます。あの先生、こっちの先生と迷う必要はありません。あの方法、この方法と振り回される必要もありません。聖書が僕らに知恵を与え、聖書が僕らを十分に整えてくれます。毎日聖書に教えられましょう。それで十分、間違いありません。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿