浮気をし続ける相手を受け入れ続けるのは辛いことです。神様はそのような妻をを受け入れなさいと預言者ホセアに言います。これは神様の忍耐とあわれみを表しています。神様は裏切ることを知りながらイスラエルを愛します。当然そこには怒りと悲しみがあります。預言者ホセアも裏切られることを知りながら妻ゴメルと結婚します。
(2-3)
主がホセアに語られたことのはじめ。主はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。」彼は行って、ディブライムの娘ゴメルを妻とした。彼女は身ごもって、彼に男の子を産んだ。
イスラエルは神様に背を向け裏切り続ける妻のようです。彼女は妊娠して出産します。神様はその赤ちゃんに裁きを意味する名前をつけさせます。神様はイスラエルの王国を終わらせ、その弓(軍事力)を破壊します。そのことを預言する意味の名前をつけさせます。ホセアの妻ゴメルは姦淫をし、今度は他人の子を産みます。ところが神様はホセアに「姦淫の子らを引き取れ。」と言います。(2)そしてその赤ちゃんに「憐れまない」という名前「ロ・ルハマ」と付けさせます。
(6)
ゴメルはまた身ごもって、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家をあわれむことはなく、決して彼らを赦さないからだ。
神様は「彼女の子らを、わたしはあわれまない。彼らは姦淫の子らだから。」と言います。(2.4)
妻ゴメルはさらに他人と姦通して妊娠します。神様はその子に「私の民ではない」という名前「ロ・アンミ」と付けさせます。
(8-9)
彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、身ごもって男の子を産んだ。
主は言われた。「その子をロ・アンミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」
この妻のように、神様にとってイスラエルは神の怒りに触れ、追い出され捨てられても当然の女のようです。ところが、その神様が、彼らを憐れみ、忍耐し、そしてイスラエル人のことを「生ける神の子ら」と呼んでくださいます。この箇所を新約聖書は解説しています。
(ローマ9:22-26)
ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。(…中略…)神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」
僕らも自分の過去を振り返るなら滅ぼされて当然、捨てられて当然でした。だのに神様はイエス様の十字架の処刑によって僕らを赦し、もう一度「神の子ども」と呼んでくださっています。神様の恵みと憐れみと忍耐は大きすぎます。誰も威張れません。ただ感謝しましょう。追い出されて当然でした。捨てられて当然でした。だのに愛されています。恵みだけ、あわれみだけです。
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