ある牧師は言いました。「人の成熟度は、その言葉に表れます。」イエス様は言われます。「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイ12.34)当たり前ですが、どんなに表面を作っても、僕らの内側は出てしまいます。そして、心にある高ぶりや憎しみや蔑みは人間関係を壊し、神様との関係を壊します。どんなに隠してもムダです。神様には筒抜けです。
(20節)
心の中でさえ、王を呪ってはならない。寝室でも、富む者を呪ってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。
僕らの心の中には罪があります。だから、どんな小さな罪も残さず神様に告白して謝ることが大事です。「このくらいはセーフ」ということはありません。小さな罪を放置すると全てに悪影響が出ます。
(1節)
死んだハエは、調香師の香油を臭くし、腐らせる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。
小さな火が大火事を起こすように、心の中の小さな高ぶりは口に出て、人生全体を壊します。
(ヤコブ3:5)
同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
何を話すかよりももっと大事なのは「何を聞くか」です。聞いていることばによって出ることばが変わります。いつも神様の知恵のことばを聞いている人は心が知恵でいっぱいになり、出てくる言葉も神様の知恵となっていきます。その人は幸せになると聖書は言います。
(申命 6:3)
イスラエルよ。聞いて、守り行ないなさい。
そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる国で大いにふえよう。
神様のことばを聞かず、知らない人はその人の愚かさと無知を露呈します。
(3節)
愚か者は、道を行くときにも思慮に欠け、自分が愚かであることを、皆に言いふらす。
(12-14節)
知恵のある者が口にすることばは恵み深く、愚かな者の唇は自分自身を吞み込む。
彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、悪しき狂気。
愚か者はよくしゃべる。人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることを、だれが彼に告げることができるだろうか。
僕らの心は放っておくと悪いものしか出ません。
そんな僕らに神様は今日も聖なるみことばを与えてくださっています。また、内側から溢れ出る泉のように、聖霊が与えられています。今日も僕らの内側がきよめられますように。小さな罪もちゃんと認めて告白してきよめられますように。
(マタイ23:26)
まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
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