●人と一緒に住みたいと願われる神様
今から約2000年前までは、人間が神様とお会いし神様を礼拝する場所は神殿でした。神殿は神様と人が交わる場所です。神様が人と一緒に住みたい、と願っておられることがわかります。これらを作るように言われたのは神様ご自身です。神様は言われました。
(出エジプト 29:42-45)
その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。
その所でわたしはイスラエル人に会う。
そこはわたしの栄光によって聖とされる。(…中略…)
わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。
神様は人間たちの中に一緒に住みたいと願ってくださる方です。もちろん神様は神殿の中だけにいるような小さな神様ではありません。宇宙より大きな方です。ソロモンは言いました。
(1列王8:27)
それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。
神殿は神様が共におられることの素晴らしさを表すためのものです。今から約3000年前にダビデ王が準備を始めて、その息子ソロモン王が工事だけで7年をかけて神殿を完成させました。
●神殿である私の体、そして教会
この神殿は「天にあるものの写しであり影」(ヘブル8.5)だと言います。僕らは天国の様子は見ることができないけど、でも、神様とお会いすることの素晴らしさを少しだけ地上でも見せてくださっていて、それが「天の写しであり影」と言われる幕屋とか神殿です。僕ら人間と一緒に住みたいと願ってくださる神様ですが、天ではそれが完全に実現しています。それを地上でも一部だけ表してくださったのが神殿です。
そして、新約聖書によると、僕ら一人一人が神様が一緒に住んでおられる神殿だと言います。
(1コリント 6:19)
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり
個人の体も神様の住まいだけど、クリスチャンが集まるところは神様の住まいだと言います。教会は神様の住まいです。クリスチャンが組み合わさって、神様の住まいとなっていきます。
(エペソ2:21-22)
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
ソロモン王が作った神殿は「主の家」です。そして、そして、僕らも主の家です。神殿を学ぶことは教会の素晴らしさを学ぶことだし、天国の素晴らしさを学ぶことです。
●神殿の中心は契約の箱
神殿の中心は契約の箱です。この箱には神様が与えてくださった契約が入っています。具体的には十のことば(十戒)が書かれた石版です。箱が大事、というよりも、そこに神様の言葉が入っていることが大事です。神殿の中心は神様の言葉でした。契約の箱は、神殿の心臓というか、命そのものでした。ソロモンはこの箱を運び入れるときは、まるで神様ご自身をお迎えするかのようでした。
(1-5)
1,それからソロモンは、イスラエルの長老たち、および、イスラエルの部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上げるためであった。
2,イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第七の新月の祭りにソロモン王のもとに集まった。
3,イスラエルの長老全員が到着すると、祭司たちは箱を担ぎ、
4,主の箱と、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具を運び上げた。これらの物を祭司たちとレビ人たちが運び上げた。
5,ソロモン王と、王のところに集まったイスラエルの全会衆は、ともに箱の前に行き、羊や牛をいけにえとして献げた。その数はあまりにも多く、数えることも調べることもできなかった。
ソロモンが招集したのは、イスラエル中のすべての長老たちや部族長たちです。これは国家行事でした。契約の箱を神殿にお迎えするのは、神様ごご自身をお迎えするかのよう、命そのものをお迎えするかのようです。これは国の最重要事項でした。
聖なる神様に近づき交わるためには、罪や汚れのある僕ら人間がまずきよめられなければなりません。契約の箱を運ぶ祭司はもちろん、そこに集まってすべての人たちがきよめられるために、「羊や牛をいけにえとして献げた。その数はあまりにも多く、数えることも調べることもできなかった。」と書かれています。
僕らも同じく、聖なる神に近づくほどに、自分の罪を自覚します。光が差すととゴミが良く見えるように、人々は無数のいけにえを捧げて赦しを求めました。罪が清められるためには犠牲の血が必要でした。
そうしていよいよ、契約の箱は、神殿の一番奥の至聖所に安置されます。
(6-8)
6,祭司たちは、主の契約の箱を、定められた場所、すなわち神殿の内殿である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。
7,ケルビムは、箱の一定の場所の上に翼を広げるのである。こうしてケルビムは箱とその担ぎ棒を上からおおった。
8,その担ぎ棒は長かったので、棒の先が内殿の前の聖所からは見えていたが、外からは見えなかった。それは今日までそこにある。
ケルビムとは、創世記によると守護者とか、守るもの(創世記3.24)と書かれていて、神様が作られた素晴らしいエデンの園に罪のある人間が入れないように守る、霊的な存在です。神殿のドアにもケルビムの模様が彫刻されていて、罪や汚れから守る存在でした。このケルビムの像があって、ケルビムに守られるかのように契約の箱が安置されました。中に入っている聖なる神様の契約に人間的な言葉を加えたり、引いたりしないように、契約を守っているかのようです。
(9)
9,箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった。これは、イスラエルの子らがエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれた際に、モーセがホレブでそこに納めたものである。
祭司たちも、恐れつつこの神様の契約の箱を置きました。その契約の言葉とは、十の教えです。
(出エジプト20章)
1、あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
2、あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
3、あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
5、あなたの父と母を敬え。
6、殺してはならない。
7、姦淫してはならない。
8、盗んではならない。
9、あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
10、あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
神殿の建物も大事だけど、一番重要なのは中身です。それは神様との契約です。神様はこの契約を守るならあなた方と一緒に住む、とも、国も子孫も祝福するとも何度も言われていました。
(6:12-13)
「もし、あなたがわたしの掟に歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしはあなたについてあなたの父ダビデに約束したことを成就しよう。わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」
●圧倒的な神様の栄光の現れ
契約の箱を置き、祭司たちが聖所から出た時に、神様の臨在を表す雲が神殿全体に満ちました。外側も、その周辺全部が雲に満たされ、祭司たちは立っていることができなくなりました。
(10-11)
10,祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。
11,祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。
神殿は天の栄光の写しであり、影だと聖書は言います。天の圧倒的な栄光を少しだけこの時も見せてくださいました。雲が満ちた、とは光る雲のとことです。確かにこの神殿に神様がいてくださる、ということが誰の目にもわかりました。神様の臨在を感じる時、人間は圧倒されて立ち上がれなくなるようです。人々は立っていられず、座り込むか、ひれ伏ふし、倒れこむかしてしまいました。
●適用
今日の箇所から僕らは天国の素晴らしさを教えられ、そして、神殿である僕らの体について、そして、教会について教えられます。
僕らの中に神様が住んでおられます。そして、教会の中に神様が住んでおられます。大事なのは、そこに神様の聖なる言葉が一番奥の大事な所にあり、建物ではなく、命の言葉によって神様の臨在に満たされることです。
今は神殿はないし、神様のことばが書かれた石版も契約の箱もありません。
イエス様によって聖霊が僕ら一人一人の体に与えられてから、僕らの心の中に神様のことばが直接書かれるようになったと言われています。
(ヘブル10:16)
「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」
(2コリント 3:3)
生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
僕らは神殿です。神様の栄光を表すものです。
この当時と同じように、圧倒的な神様の臨在と光を表すものとして僕らは作られ、そしてクリスチャンになった日からもう一度キリストの栄光を表す人として変えられています。
(2コリント 3:18)
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
もしみなさんが、どうして、自分はどうして神様の栄光を表せないんだろう、と思うなら、聖書にこう書いてあります。
(2コリント 3:14)
しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
キリストによってだけ、栄光を輝かなくする覆いが取り除けられます。あの処刑によって、流された血によって、僕らは無罪とされました。キリストによってだけ、僕らは無罪とされ、きよめられ、キリストによって神様と交わり、聖なる住まいとされています。
だから、恐れることなく、悔い改めることができます。僕らは神様の栄光を表す神殿です。キリストによってだけ、きよめられた人として、過去はどんなひどくても、いまはキリストの栄光を表すことができます。
自分を神様が住んでくださる神殿として明け渡しましょう。
自分の中に神様の言葉をお迎えしましょう。
自分の考え、自分の心配、自分の都合は一回脇において、神様のみ言葉を、神様の約束を心の中心にお迎えしましょう。もう、無数のいけにえはいりません。神様の栄光を輝かせなかった原因は、このキリストの完璧な赦しの福音を見上げてなかったからです。
(2コリント 3:16)
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
今、神様がここにいます。教会の交わりの中にいます。建物も組織も用いられるけど、一番大事なことは僕らの中に命の律法が書き記され、そして、神様が一緒にいてくださるという事実です。心は新しくされ、律法を守りたいとと言う聖霊様の願いが溢れて来ます。
自己吟味してみましょう。
自分の中にあるのは、誰の言葉でしょうか。自分の言葉なのか、神様の律法なのか、自分に聞いてみましょう。
自分が表している栄光は誰のものでしょうか。自分の栄光でしょうか。神様の栄光でしょうか。
ソロモンは国をあげて神様をお迎えするように契約の言葉を運び入れました。僕らがいつも自分の中に運び入れているのは誰の言葉でしょうか。ネットの言葉、テレビの言葉でしょうか。それとも聖なる神様のみことばでしょうか。
僕らは神様の栄光を表す神殿とされました。ハレルヤ!
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