創世記8章
ノアの洪水の後、約1年後に箱舟から出てきたノアが最初にしたことは家を建てることでも畑を作ることでもありませんでした。彼が最初に時間をかけたのは神様に献身を表すために祭壇を作り、その上で動物を焼き尽くすことでした。
(15-21)
神はノアに告げられた。「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。20,ノアは主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。主は、その芳ばしい香りをかがれた。
箱舟で生き残った動物は貴重です。神様に捧げることができるきよい動物や鳥は7つがいだけです。「礼拝も大事だけど、1/7を今ささげちゃうよりも、もうちょっとたくさん羊が増えるまで延期した方がいいのでは?」とか、「まずは住むところを作ろう」いう声が聞こえてきそうです。この時、ノアは世界は本当に何もなくなってしまうことをリアルに体験したばかりでした。自分も滅んでいてもおかしくありません。全焼のささげものは「自分の命は神様の手の中にあります。自分の命は神様のものです。」という表明であり献身を表す方法です。
僕らは祈ったから何かくださいよ、とか、礼拝し賛美したから祝福してくださいよ、みたいに神様へのささげものを取引きのように誤解することがあります。礼拝とは神様に自分のいのちをささげることです。もう、自分の人生ではなく、神様の人生です、という表明です。
ノアはもともと神様とともに歩む人でしたが、(6章9節)この時に献身を新たに表明しました。
僕らは動物を殺したりする必要はありません。イエス様が最後のそして完全なささげものとしてご自分のいのちを神様にささげ、それを信じる人はイエス様と一緒にささげられた人と見なされます。だから、僕らがすることは、この世と調子を合わせず、この世のことを優先せずに、自分を生きている、そして神様に喜ばれているいけにえとしてささげることです。
(ローマ 12:1-2)
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
いのちを捧げた時に、「主は、その芳ばしい香りをかがれた。」とあります。僕らの人生をささげることも同じです。神様はそれを喜んでくださいます。僕らの人生が神様のものでありますように。ささげられたいのちとして、キリストと一緒に歩む新しい一日でありますように。
マリヤは忙しい時にもイエス様と一緒にいることを最優先事項としました。そして他のことを優先しているマルタに言われます。
(ルカ 10:41-42)
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
今日も神様に捧げる日です。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。ハレルヤ!(ガラテヤ2.20)
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