人間は本来神様に喜ばれ、受け入れられ、愛され、超ド級の安心感の中を歩むように作られています。…ですが、それを失っているのが現実です。本来の僕らは、神様を恐れ、神様の言葉を喜び、それを第一とする人です。それがどんなに素晴らしいか、聖書は言います。
(5-7節)
わたしの、彼との契約は、いのちと平安であった。わたしはそれらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼はわたしを恐れ、わたしの名の前に、おののいた。
彼の口には真理のみおしえがあり、彼の唇には不正がなかった。平和と公平さのうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を不義から立ち返らせた。
祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口からみおしえを求める。彼が万軍の主の使いだからだ。
こんなに素晴らしい特権を失う原因は僕ら人間の側にあります。今日の箇所は特に祭司に警告されている箇所です。神様を教えるはずの祭司が神様から離れていくと、その国民全体が祝福を失い、他の国と人々からバカにされる国民に落ちていきます。自分から祝福を捨てて呪いを選んでいるかのようです。
(1-2節)
「祭司たちよ、今、この命令があなたがたに下される。
もし、あなたがたが聞き入れず、もし、わたしの名に栄光を帰することを心に留めないなら──万軍の主は言われる──わたしは、あなたがたの中にこののろいを送り、あなたがたの祝福をのろいに変える。もう、それをのろいに変えている。あなたがたがこれを心に留めないからだ。
(8-9節)
しかし、あなたがたは道から外れ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約を損なった。──万軍の主は言われる──
わたしもまた、あなたがたを、すべての民に蔑まれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをしながら教えたからだ。」
祭司たちは神様を忘れ、若い時の妻を裏切り、離婚して異教の女性と再婚しました。彼らは「何か悪いことをしました?」という程に神様を忘れています。神様の真理のみことばから離れることは祝福を手放していくことです。
(11)
ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中で忌まわしいことが行われた。まことにユダは、主が愛された主の聖所を汚し、異国の神の娘をめとった。
(14-16節)
「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。
神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
「妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、主は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。──万軍の主は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。
神様を裏切り、妻を裏切ることは罪です。罪は神様を悲しませ、罪のままで神様に祝福されるとか、受け入れられることはありません。だのに、「罪のままでも神様に喜ばれている」とか「神様の裁きはない」という新しい教えを作り出し、それが神様を苦しめている、と聖書は言います。
(17)
あなたがたは、自分のことばで主を疲れさせた。あなたがたは言う。「どのようにして、私たちが疲れさせたのか。」それは、あなたがたが「悪を行う者もみな主の目にかなっている。主は彼らを喜ばれる。いったい、さばきの神はどこにいるのか」と言うことによってだ。
聖書が僕らに教えていることは「悔い改め」です。人間は本来神様に喜ばれ、受け入れられ、愛され、超ド級の安心感の中を歩むように作られています。それは、罪から離れて神様のことばに戻る、従う新しい歩みです。「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。」と神様は僕らに今日も呼びかけてくださっています。戻りましょう。神様を第一にしましょう。命と平安が約束されています!(マラキ3.7)
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