ダビデは今まで神様が良くしてくださったことを思い出して歌にしています。それがいくつも聖書に残っています。今日の箇所もそうです。そして、今も僕らの賛美の歌は神様がどんなに良いことをしてくださったかを言い表すものです。
ダビデは他国から攻撃されたときに、いつもまず最初に神様に伺いました。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」(2サムエル5.19)のように、危機が迫ってくる度に神様に質問し、そして神様はその都度具体的に答えてくださいました。そして神様の答えはいつも完璧でした。ダビデはそれを思い返して歌っています。
(31-34節)
神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。
この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。
彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所(見晴らしが良くて、敵が襲ってこない場所のこと)に立たせてくださる。
神様はダビデに「戦え」と言われる時もありました。そしてダビデが神様のことばに従った時には必ず勝利を与えてくださいました。
それはダビデの力ではなく、完全に神様から与えられた力です。それを何度も思い出して感謝するために音楽や歌が用いられ、その賛美歌は聖書に記録されました。
(35-41節)
戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。
こうしてあなた(神様)は、御救いの盾を私に下さいました。あなたの謙遜は、私を大きくされます。
あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。
私は、敵を追って、これを根絶やしにし、絶ち滅ぼすまでは、引き返しませんでした。
私が彼らを絶ち滅ぼし、打ち砕いたため、彼らは立てず、私の足もとに倒れました。
あなた(神様)は、戦いのために、私に力を帯びさせ、私に立ち向かう者を私のもとにひれ伏させました。
また、敵が私に背を見せるようにされたので、私は私を憎む者を滅ぼしました。
ダビデは思い出して歌っています。いつも神様に伺うときに神様は答えてくださり、その答えは完璧で、しかも実現することばでした。
僕らにも神様は答えてくださいます。
聖書は神様の霊によって与えられた神様のことばです。僕らが「神様教えてください」とか、「神様これはどうしたら良いでしょう?」と伺いながら、対話しながら、求めながら読むときに、予想を超えたことばやアイディアが与えられます。
「主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。」です。(31節)
今日もどんな小さなことも神様に祈り質問しながら歩めますように。僕らに力がなくても、知恵や判断力がなくても大丈夫です。神様ははるかに大きく完璧です。そして僕らに惜しげもなく与えたいと願っておられる神様です。ハレルヤ!
(ヤコブ1:5-6)
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。
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