2022年12月15日木曜日

ヨハネ8.48-56

 ヨハネ8.48-56


僕らはいつも褒められたいし認められたいものですそのために自慢したりアピールしたりしがちですですが、栄光を与えてくださるのは神様だけです自分で自分の栄光を求めることは「空しい」と聖書は言います。イエス様でさえ自分の栄光を求めませんでした。


(50)

わたしは自分の栄光を求めません。それを求め、さばきをなさる方がおられます。


(54)

イエスは答えられた。「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光は空しい。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です


イエス様が地上に来られたのは父である神様のご計画がなされるたです

そのプロセスにおいては、イエス様は憎まれ、嫌われ、卑しめられ、殺されました。でも、復活し栄光を受けています。アブラハムも預言者たちもキリストと一緒に今も生きています。ユダヤ人たちはそれがわからずに言いました。「アブラハムは死んだ。預言者たちも死んだ。あなたは、自分を何者だと言うのか。」(53)イエス様を信じ従う人は死ぬことがありません。体は死にますが、栄光の体、霊的な体に変えられ、主と共に生きます。天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっています。(1コリント15.40)


(51)

「まことに、まことに、あなたがたに言います。だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません。」


地上の栄光は虚しく消えて生きます。イエス様でさえ、地上では嫌われ、卑しめられていました。でも、復活して父なる神様から栄光を受けています。イエス様は言われました。「わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。」(54)この栄光はイエス様だけで終わらず、なんと、イエス様を信じて永遠のいのちを持つ人にも与えられる栄光です


(ローマ8:17-18

私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。


栄光は天にあります。草は枯れ、花はしぼみます。でも、イエス様を信じる人は栄光を受けます。自分でアピールしなくても大丈夫です。卑しめられても、無視されても大丈夫ですアブラハムも預言者たちも生きています。そして僕らも永遠のいのちを受け、栄光を一緒に受けます。ハレルヤ!

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